宮世琉弥の実家が金持ちな理由は?父親の会社や家族構成・震災体験も

宮世琉弥さんといえば、月9ドラマ「ヤンドク!」への出演や全国ツアーの開催で今もっとも勢いのある若手俳優のひとりですよね。そんな宮世琉弥さんの実家がお金持ちなのではないかと気になっている方も多いのではないでしょうか。

父親の職業や会社のこと、兄弟は何人いるのか、母親はどんな人なのか。さらには「両親が亡くなった」という噂や東日本大震災での家族の被災体験まで、気になることがたくさんありますよね。宮世琉弥さんの実家やご家族の実態に迫ってみましょう。

宮世琉弥の実家が金持ちといわれる理由

宮世琉弥さんの実家が裕福だと噂される背景には、いくつかの具体的な根拠があります。まずは全体像を押さえておきましょう。

  • 父親は建築家で、会社を経営している可能性が高い
  • 震災後に3階建ての自宅を再建している
  • 犬3匹・カメ・モモンガ・カメレオンなど多数のペットを飼育
  • 4人兄妹の大家族で、小学5年生から芸能活動を経済的に支えてきた
  • 「両親が亡くなった」という噂は完全なデマで、ご両親は健在
名前 宮世琉弥(みやせ りゅうび)
本名 亀井琉弥(かめい りゅうび)
生年月日 2004年1月22日
出身地 宮城県石巻市
所属 スターダストプロモーション
学歴 堀越高校卒業
家族構成 父・母・本人・妹3人の6人家族

父親は建築家で会社を経営?

宮世琉弥さんの父親は建築家であることが、本人のインタビューで明かされています。宮世琉弥さん自身も「父が建築家なので、DNAですかね(笑)」とものづくり好きな自分のルーツを父親に重ねて語っていました。

さらに注目なのが、父親の働き方です。宮世琉弥さんは父親について「社員さんや目上の人に対しての対応をしっかりする”強いお父さん”を小さい頃から間近で見てきた」と語っています。この発言から、社員を抱える建築事務所を経営している可能性が高いと見られています。

一般的に建築事務所の経営者であれば、安定した収入基盤があることは想像に難くありません。宮世琉弥さんが小学5年生の頃から宮城と東京を行き来しながら芸能活動を続けられた背景には、父親の経済力が大きく関わっていそうです。

3階建ての自宅やペットの多さから見える経済力

実家が金持ちと言われるもうひとつの理由が、震災後に3階建ての自宅を再建していることです。東日本大震災で自宅を津波で失いながらも、その後3階建ての住まいを建てたというのは、それなりの経済力がなければ難しいですよね。

加えて、宮世琉弥さんの実家ではさまざまなペットを飼育しています。犬3匹(ピンシャーとチワワのミックス犬や豆柴など)、カメ、モモンガ、カメレオン、イモリなど、かなりの種類の生き物と暮らしてきました。

特にカメレオンのように飼育に手間もお金もかかる動物まで飼っていることは、経済的なゆとりの表れとも言えます。6人家族の生活費に加えてこれだけのペットを養える家庭ですから、裕福だと見られるのも納得です。

幼少期から芸能活動を支えられる家庭環境

宮世琉弥さんは小学5年生のときに、地元・石巻周辺のショッピングモールでスカウトされてスターダストプロモーションに所属しました。宮城県から東京までレッスンや仕事のために通うとなると、交通費や宿泊費だけでもかなりの負担になります。

実際、母親が車で仙台のレッスンまで送り迎えを続けていたことが明かされています。東京での仕事が増えてからも、スケジュールに合わせて家族がサポートし続けました。

こうした活動を何年も支えられる家庭環境があったこと自体が、経済的に余裕のある家庭だった証拠ではないでしょうか。芸能界を目指す子どもを地方から支えるというのは、並大抵のことではありません。

宮世琉弥の父親と母親について

宮世琉弥さんの実家がお金持ちかどうかの背景がわかったところで、次はご両親それぞれの人物像に迫ってみましょう。ネット上では「両親が亡くなった」という噂もありましたが、完全にデマです。

父親は「憧れの存在」—三国志好きが名前の由来に

宮世琉弥さんの父親は一般の方のため名前や顔写真は非公開ですが、本人がインタビューで多くのエピソードを語っています。まず、「琉弥」という名前は父親が三国志の劉備玄徳にちなんで名付けたもの。「人徳のある男になってほしい」という想いが込められています。

宮世琉弥さんは尊敬する人に両親を挙げており、特に父親については「自分にはない男気がある」と憧れを口にしています。休みの日には父親とふたりでドライブに出かけることもあるそうで、その車内では宮世琉弥さんの曲をかけてくれるのだとか。

また、父親は息子の活動をすべてチェックしているそうで、出演した番組やCMの感想を逐一報告してくれるといいます。普段は多くを語らない寡黙なタイプとのことですが、家族を大切に思う気持ちが伝わってきますよね。

両親からは「やりたいことはやっていいよ」と言われて育ち、小学5年生でスカウトされた際も後押ししてくれたそうです。同時に「やるならちゃんとやれ。周りに流されるな」と仕事への心構えも教えてくれたとのこと。自由と責任の両方を教えてくれる父親の姿が浮かんできます。

母親はどんな人?休日に一緒に出かけるほどの仲良し

宮世琉弥さんの母親も一般の方で、名前や年齢は公表されていません。ただ、本人が語るエピソードからはとにかく仲の良い親子関係であることがよくわかります。

仕事が休みの日には母親とふたりで出かけることもあり、Instagramには休日に母親と松島観光を楽しんだ様子が投稿されたこともあります。母親の誕生日には「いつも優しく、笑顔が絶えない母が大好きです」「僕の人生かけて恩返ししていきます」とInstagramでお祝いしており、深い愛情を感じさせます。

宮世琉弥さんが料理好きになったのも母親がきっかけです。小学生のときに近所の料理教室を窓ガラス越しに見て興味を持ち、母親に頼んで妹とふたりで通い始めたそうです。作った料理を母親が「美味しい!」と喜んでくれることがやりがいになっていました。

中学生になると母親から「将来できるようになっておいたほうがいい」とアドバイスを受け、自宅でも本格的に料理をするように。おかげで多忙な現在は、料理をすることが心と体のリセットになっているのだそうです。

「両親が亡くなった」はデマ—噂が広まった理由

ネット上で広まった「宮世琉弥の両親が亡くなった」という情報は、完全なデマです。ご両親は現在も健在で、宮世琉弥さんの活動を応援し続けています。

この誤情報が生まれた背景には、東日本大震災での壮絶な被災体験があります。宮世琉弥さん一家は震災で自宅を津波で失い、母親と車で避難中に津波に巻き込まれるという命がけの経験をしています。こうした情報が断片的に伝わるうちに、「両親が亡くなった」という誤解に変わってしまったようです。

実際には家族全員が無事に生還しており、その後3階建ての自宅を再建して、以前と変わらない明るい家庭を取り戻しています。根拠のないデマには惑わされないようにしたいですね。

宮世琉弥の兄弟は何人?妹や震災エピソード

宮世琉弥さんは4人兄妹の長男で、下に3人の妹がいます。そのうちのひとりがアイドルとして芸能界で活躍中です。兄妹のエピソードや震災体験についても見ていきましょう。

妹は3人!伊達花彩と苗字が違う理由は芸名だから

宮世琉弥さんの妹3人のうち、最も知られているのが伊達花彩(だて かあや)さんです。2005年3月21日生まれで、アイドルグループ「いぎなり東北産」のメンバーとして活動するほか、声優・女優としても『アイカツプラネット!』で主演を務めるなどマルチに活躍しています。

「宮世」と「伊達」で苗字が違うため「異母兄妹?」と思う方もいるかもしれませんが、どちらも芸名です。本名はふたりとも「亀井」姓で、れっきとした実の兄妹ですよ。伊達花彩さんの「伊達」は、宮城県ゆかりの戦国武将・伊達政宗に由来しています。

ちなみに、ふたりは同じ地元のショッピングモールでスカウトされて芸能界入りしたそうです。兄妹そろってスカウトされるとは、亀井家の遺伝子おそるべしですよね。

他の妹ふたりは一般の方のため情報は非公開です。宮世琉弥さんは妹たちに「お兄ちゃん○○買って」とおねだりされると可愛くてつい買ってあげてしまうのだとか。妹から毎年もらう似顔絵が宝物だとも語っており、妹の髪を乾かしてあげることもあるそうです。面倒見の良いお兄ちゃんですね。

東日本大震災で家族が被災—津波からの壮絶な避難体験

2011年3月11日、宮世琉弥さんが小学1年生だった頃に東日本大震災が発生しました。宮城県石巻市で暮らしていた亀井家も、津波で自宅を失うという壮絶な体験をしています。

帰りの会の最中に大きな揺れに襲われた宮世琉弥さんは、その後母親と合流。母親の車で避難する途中、津波の水が目前まで迫ってきたそうです。車ごと流されましたが、奇跡的に山の斜面に引っかかり、そこから車を脱出して山を登ることで助かりました。

さらに悲しいことに、当時飼っていた柴犬は津波で命を落としてしまいました。犬小屋は流されていたのに、その柴犬だけは家があった場所で見つかったといいます。「家を守ってくれていたんだなって」と宮世琉弥さんは振り返っています。

そんな状況の中、母親から「(震災で亡くなった)その人たちの分まで生きなさい」と言葉をかけられたことが、今の宮世琉弥さんの原動力になっているそうです。震災を風化させないために将来は映画を撮りたいとも語っており、被災経験を前向きなエネルギーに変え続けています。

震災を乗り越えた家族の絆が今の活躍につながっている

震災後、亀井家は力を合わせて生活を再建しました。父親が建築関係の仕事をしていたこともあり、3階建ての新しい自宅を建て、ペットたちとの賑やかな暮らしを取り戻しています。

復興支援で被災地を訪れた芸能人の姿を見たことも、宮世琉弥さんが芸能界を目指すきっかけのひとつになりました。「人に元気を届けたい」という想いは、壮絶な震災体験があったからこそ生まれたものです。

初めてのお給料では家族にごちそうをしたというエピソードもあり、家族への感謝を常に忘れない姿勢が伝わってきます。震災という困難を家族で乗り越えた経験が、宮世琉弥さんの芯の強さと優しさの原点になっているのは間違いなさそうです。

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