山本キッドの最後の写真が衝撃的!死因の胃がんと激痩せの真相

総合格闘家の山本KID徳郁さんが、2018年9月18日に41歳の若さで亡くなりました。死因は胃がんの全身転移による多臓器不全。がん治療中であることをインスタグラムで公表してから、わずか23日後の出来事でした。

「最後の写真」として出回った画像には、かつての筋骨隆々な姿とはかけ離れた痩せ細った姿が映っていたといいます。闘病中の激痩せの真相や、タトゥー・ドーピングと死因の関係についても気になるところですよね。

山本キッドさんの死因や闘病生活の全貌、そして最後の姿について詳しく見ていきましょう。

山本KID徳郁の死因と最後の写真について

  • 死因は胃がんの全身転移による多臓器不全(2018年9月18日・41歳没)
  • 2016年にステージ4の胃がんが発覚し、約2年間闘病していた
  • 最後の写真は闘病で激痩せし車椅子生活を送る姿で、ファンに衝撃を与えた
  • タトゥーやドーピングと死因の因果関係は医学的に否定されている
  • 義弟のダルビッシュ有さんが医療チャーター機やグアムでの療養を全面支援した
名前 山本KID徳郁(やまもと キッド のりふみ)
本名 岡部徳郁(おかべ のりふみ)
生年月日 1977年3月15日
没年月日 2018年9月18日(41歳没)
出身地 神奈川県川崎市
職業 総合格闘家・KRAZY BEE主宰
ニックネーム 神の子
家族 父・山本郁榮(五輪レスリング代表)、姉・山本美憂、妹・山本聖子(ダルビッシュ有の妻)

山本KID徳郁さんは、平成を代表するカリスマ格闘家として一世を風靡した人物です。小柄ながら驚異的な身体能力で大きな相手を次々と倒す姿から「神の子」と呼ばれ、格闘技ファン以外にも幅広い支持を集めていました。

死因は胃がんの全身転移による多臓器不全

山本キッドさんの死因は、胃がんを起因とするがんの全身転移による多臓器不全です。2018年9月18日、グアムでの闘病の末に息を引き取りました。

胃がんが発覚したのは2016年のこと。この時すでにステージ4まで進行していました。

胃がんは初期症状がほとんど出ないことで知られており、山本キッドさんが体の異変を感じて病院を受診したのは2015年の冬だったとされています。しかしその時点では、すでに手遅れに近い状態だった可能性が高いですね。

ステージ4の胃がんは外科手術での治療が難しく、化学療法や放射線治療、免疫療法などに頼ることになります。5年生存率はわずか7.3%という厳しい数字です。

がん公表からわずか23日後に死去

山本キッドさんは2018年8月26日、自身のインスタグラムでがん治療中であることを公表しました。「絶対元気になって帰ってきたい」という力強いメッセージとともに、闘病中であることを明かしたのです。

格闘家の魔裟斗さんやプロボクサーの亀田興毅さんをはじめ、多くの格闘技関係者やファンから激励のコメントが殺到しました。

しかしその願いは叶わず、インスタでの公表からわずか23日後の2018年9月18日に息を引き取りました。実際にはがんの発覚から約2年間の闘病生活を送っていたわけですが、世間に知らされてからあまりに急な訃報だったため、衝撃は計り知れないものでした。

がんの全身転移による多臓器不全とはどんな病気?

山本キッドさんは全身にタトゥーを入れていたため、一部では「皮膚がんや肝臓がんではないか」という憶測もありました。しかし実際の死因は、胃がんが全身に転移したことによる多臓器不全です。

多臓器不全とは、がん細胞が血液やリンパを通じて肝臓・肺・骨など複数の臓器に転移し、それぞれの臓器が正常に機能しなくなる状態を指します。ステージ4ではこうした全身転移が起きていることが多く、治療の選択肢は限られてしまいます。

胃がんのリスク因子としては、ピロリ菌の持続感染、喫煙、高塩分食、多量の飲酒などが挙げられています。特にピロリ菌感染は胃がんのリスクを大幅に上げるとされており、若いうちにピロリ菌検査を受けていれば結果は違っていたかもしれません。

山本キッドの最後の写真と激痩せした最後の姿

 

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「山本キッド 最後 写真」「山本キッド 激痩せ」といったキーワードで検索する方が多いのは、闘病中の山本キッドさんの姿がいかに衝撃的だったかを物語っています。かつてのたくましい姿からは想像もできないほど痩せ細った最後の姿について見ていきます。

闘病による激痩せと車椅子生活

山本キッドさんは2018年5月頃からグアムに移り、末期がんの治療を受けていました。この頃にはすでに普通の飛行機には搭乗できないほど病状が悪化しており、義弟のダルビッシュ有さんが医療用チャーター機を手配してグアムへ渡航しています。

2018年8月中旬、グアムのレストランで撮影された姿が報じられると、ファンの間に衝撃が走りました。自力で歩くことが困難になっており車椅子に乗っていたこと、以前よりもさらに痩せ細っていたことが確認されたのです。

ステージ4の胃がんでは食事をきちんと食べることができなくなるため、体重が急激に落ちてしまいます。格闘家として鍛え上げた筋肉質な体格だっただけに、その変化は周囲にとって非常にショッキングなものだったでしょう。

最後の集合写真に映った姿

山本キッドさんの「最後の写真」として知られているのは、姉の山本美憂さんや父の山本郁榮さん、元UFCチャンピオンのBJ・ペンさんらと一緒に映った集合写真です。

この写真はBJ・ペンさんが山本キッドさんの死去を悼んで自身のSNSに投稿したもので、写真の中の山本キッドさんは笑顔を浮かべていたものの、首も極端に細くなっており、かつてのたくましい面影は見る影もなかったといいます。

「これがKIDなのか」と多くの人が衝撃を受けたほどで、その変わり果てた姿にファンからは悲しみの声が相次ぎました。一方で、闘病中の姿を公開することへの批判もあり、BJ・ペンさんはその後この写真を削除しています。

山本KID徳郁の闘病生活と晩年

山本キッドさんは胃がんの発覚後も、家族や格闘技への情熱を失うことなく闘病生活を送っていました。ここからは、彼の晩年の姿を時系列で振り返ります。

グアムでの療養とダルビッシュ有の全面支援

2018年5月、病状が悪化した山本キッドさんは、マスコミの目を逃れてゆっくりと療養するためにグアムへ移りました。しかし、すでに通常の飛行機に乗れる状態ではなかったのです。

そこで動いたのが、義弟のダルビッシュ有さんでした。医療用チャーター機の手配に始まり、グアムでの滞在先の家や車、さらに現地での主治医の手配まで、すべてをダルビッシュさんが担ったといいます。

山本キッドさんの妹・聖子さんの夫であるダルビッシュさんは、義兄の闘病を全面的にバックアップし続けました。その支援がなければ、山本キッドさんの最後の日々はまったく違ったものになっていたでしょう。

夢だったクレイジーリーグの開催

闘病中の2017年8月には、再婚した妻のゆいさんとの間に次女の虎ちゃんが誕生。大学時代に母を白血病で亡くしていた山本キッドさんにとって、「子どものためにも胃がんを克服する」という強い意志が闘病の原動力になっていたようです。

さらに、山本キッドさんにはどうしても実現したい夢がありました。若い格闘家のための大会「クレイジーリーグ」の開催です。

クラウドファンディングで資金を集め、2018年6月の開催を目指していました。しかし5月に病状が悪化し、自身が大会に参加することは困難に。やむなくクラウドファンディングを中止し、集まった資金を返金してクレイジーリーグの開催を断念しました。

ところが、「クレイジーリーグの開催が義兄の夢だった」と知ったダルビッシュ有さんが全面支援に乗り出します。その結果、2018年6月30日に第1回クレイジーリーグが無事に開催されました。

闘病の中で自分の夢が実現した瞬間は、山本キッドさんにとってかけがえのない喜びだったに違いありません。

姉・山本美憂への最後のコーチング

山本キッドさんが胃がんであることを家族に伝えた際、姉の山本美憂さんはカナダでレスリングのトレーニングに励んでいました。弟の病気を知った美憂さんは、総合格闘技に挑戦し、そのコーチを山本キッドさんに依頼することを決めたのです。

「弟は自分のために必死に教えてくれるに違いない。そうすれば病気に負けない力が出るのではないか」。美憂さんのその想いには、弟を奮い立たせたいという深い愛情がありました。

山本キッドさんは闘病生活の中でも必死に美憂さんへのコーチングを続けました。総合格闘技の世界は甘くなく、美憂さんはKO負けが続きましたが、それでも二人は格闘技を通じて支え合っていたのです。

タトゥーやドーピングと山本キッドの死因の関係は?

山本キッドさんの死後、全身のタトゥーやドーピング疑惑と死因の関係を疑う声がネット上で見られました。実際のところ、これらは死因と関係があるのでしょうか。

タトゥーが胃がんの原因ではない理由

結論から言うと、タトゥーが原因で胃がんになったという医学的根拠はありません

タトゥーを入れる際に針を使いまわした場合、B型肝炎やC型肝炎、HIVなどに血液感染するリスクはあります。しかし山本キッドさんの死因は胃がんによる多臓器不全であり、タトゥーの血液感染リスクとは疾患の種類がまったく異なります

「タトゥーがあるとMRIを受けられない」という説についても、タトゥーのインクに含まれる金属は微量であり、事前に申告すればMRI検査は受けられます。多少の熱感を覚えることはあるものの、検査自体に支障はありません。

ドーピング疑惑の真相

ネット上では、山本キッドさんが現役時代にステロイドなどのドーピングをしていたのではないかという噂も流れました。しかし、ドーピングを裏付ける公式な検査結果や報道は一切存在しません。

この疑惑が浮上した背景には、60kg前後の体格でありながら70kg級の選手を次々とKOしていったという圧倒的なパフォーマンスへの驚きがあったようです。

ただ、山本キッドさんはオリンピックレスリング代表だった父のもとで幼少期から鍛え上げられており、その身体能力は「天然のもの」だとする声が格闘技関係者の間では圧倒的に多いです。ドーピングと胃がんの直接的な因果関係も医学的に確立されていないため、この噂には根拠がないと言えるでしょう。

山本KID徳郁の格闘家としての軌跡

山本キッドさんは、レスリングのエリート一家に生まれ、数々の格闘技団体で活躍した伝説的な格闘家です。その輝かしいキャリアを振り返ります。

レスリングから総合格闘技への転向

ミュンヘンオリンピックのレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮さんを父に持ち、幼少期からレスリングで頭角を現していた山本キッドさん。大学では全日本学生レスリング選手権大会で優勝するなど、数多くの実績を残しました。

シドニーオリンピック出場を目指していましたが、1999年の全日本レスリング選手権大会で惜しくも準優勝。この結果を機に、レスリングから総合格闘技へと転向しました。

2000年7月にアマチュア修斗でデビューし、翌2001年にプロデビュー。ここから「神の子」としての伝説が始まります。

K-1・UFCでの活躍と最後の試合

総合格闘技で名を上げた山本キッドさんは、2004年にはK-1にも参戦。「K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~」の1回戦で村浜武洋さんに勝利し、HERO’Sにも参戦するなど、ジャンルを超えた活躍を見せました。

2006年にはレスリングに一時復帰し、北京オリンピック出場を宣言。しかし2007年の天皇杯全日本レスリング選手権で右肘を脱臼し、試合開始わずか16秒でフォール負け。北京五輪の夢は断たれました。

その後は再び総合格闘技に復帰し、DREAMやアメリカのUFCで活躍。2015年2月のUFC 184でのローマン・サラザール戦が生涯最後の公式戦となりました。山本キッドさんが試合を優勢に進めていたものの、相手の目に指が入るアクシデントにより無効試合に終わっています。

2015年冬に体の異変を感じ、2016年に胃がんステージ4が発覚。表舞台から姿を消し、約2年の闘病生活へと入りました。なお、2023年12月31日にはU-NEXTでドキュメンタリー映画「山本KIDの愛と夢 〜IT WAS ALL A DREAM〜」が配信され、彼の生涯が改めて多くの人の心を動かしました。

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