「ルイルイ♪」のキャッチフレーズで一世を風靡した太川陽介さん。昭和のアイドルとして人気を集め、今ではバラエティや旅番組でもおなじみですよね。でも、実は彼にはひとり息子がいることをご存じでしたか?
その息子こそが坪倉弘喜さん。しかも、ただの二世ではありません。幼少期から名門・立教学園で学び、大学では野球部に所属するなど、まさに文武両道の人生を歩んできました。ところが、卒業後に進んだのはまさかの建築業界。野球から建築へ…? そんな意外なキャリアチェンジが注目を集めています。
さらに気になるのは家族との関係。父・太川陽介さんは息子への愛情たっぷりで、母・藤吉久美子さんも野球の試合を全力で応援していたとか。そして、気になるのは今後の展望。このまま建築業界に進むのか、それとも父のように芸能界デビューなんてことも…?
今回は、そんな坪倉弘喜さんの学歴・野球の実績・現在の仕事・家族とのエピソードなどを詳しくご紹介していきます!
太川陽介の息子・坪倉弘喜の学歴と現在
俳優として活躍する太川陽介さんには、ひとり息子がいます。しかも、かなりのエリートコースを歩んできたとか…? どんな学校を卒業し、今どんな仕事をしているのか、気になりますよね。
太川陽介の息子の名前・年齢・プロフィール
俳優として活躍する太川陽介さんには、ひとり息子がいます。さて、そのお名前はというと…「坪倉弘喜(つぼくら ひろき)」さん! 実は、太川陽介さんの本名は「坪倉育生(つぼくら いくお)」なので、息子さんも同じ「坪倉」姓なんですね。ファンの間では「太川陽介の息子ってどんな人?」と気になっている人も多いみたいです。
弘喜さんが生まれたのは2001年7月2日。つまり、2024年現在で23歳ということになります。いやぁ、大人ですね…! しかも、大学を卒業してすでに社会人。時の流れは早いものです。
ちなみに、母親は女優の藤吉久美子さん。おしどり夫婦として知られる太川さんと藤吉さんですが、実は藤吉さんにとっては再婚だったことも話題になりました。それでも、夫婦は長年にわたり支え合い、弘喜さんを大切に育ててきたんです。
そんな弘喜さん、小さい頃からスポーツ好きで、特に野球に熱中! 4歳の頃から始めて、10歳のときには本格的な野球チームに所属するほど。幼少期から運動神経が良かったんですね。そして、進学先もすごいんです…!
学歴一覧:立教小学校から立教大学までエリートコース
なんと、坪倉弘喜さんの学歴は幼少期から大学まで立教一筋! これはすごい。まさに「立教エリートコース」です。
具体的な学歴は、こちら。
● 小学校:立教小学校
● 中学校:立教新座中学校
● 高校:立教新座高等学校
● 大学:立教大学(コミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科)
なんと、小学校からずーっと立教! 立教小学校は名門校としても有名で、幼少期からしっかりした教育を受けていたことがうかがえます。しかも、中学・高校は立教新座。こちらも偏差値が高く、かなりの難関校なんですよ。
そして、大学は立教大学のコミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科。これはまさに「スポーツに特化した学び」ができる学科で、野球に打ち込んできた弘喜さんにはぴったり! 実際、大学時代も立教大学の野球部に所属しており、外野手として活躍していました。
しかし、大学2年生以降は学生コーチとして後輩の指導にもあたっていたとのこと。怪我の影響でプレイヤーから指導側へ転向したのかもしれませんが、それでも野球への情熱は変わらなかったみたいですね。
これだけの学歴とスポーツ経験を持つとなると、卒業後の進路も気になりますよね。気になる就職先は建築関係の仕事だとか! ん? スポーツとは関係ないけど…? いったいどんな道を選んだのか、それについては次の項目で詳しくご紹介します!
大学時代の専攻は?立教大学コミュニティ福祉学部とは
坪倉弘喜さんが進学した立教大学。立教といえば、歴史ある名門校として知られ、政財界や芸能界にも多くの卒業生を輩出している大学です。そんな立教大学で、彼が学んだのはコミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科。ん? コミュニティ福祉? なんとなく聞き慣れない学部名ですよね。
簡単に言うと、コミュニティ福祉学部は「人と社会のつながりをより良くするための学問を学ぶ場」。特に彼が選んだスポーツウェルネス学科は、「スポーツを通じた健康・福祉の向上」をテーマにしており、運動や健康管理、スポーツマネジメントについて幅広く学べるんです。
「スポーツを学ぶって、体育の授業みたいな感じ?」と思うかもしれませんが、それとはちょっと違います。単なる実技だけではなく、スポーツの社会的な役割や、スポーツを通じた地域活性化、健康増進といった観点からの学びがあるのが特徴。要は、「ただ運動する」のではなく、「スポーツが人々に与える影響を考え、活用する学問」なんですね。
そして、この学科に入るということは、彼がスポーツに真剣に向き合ってきた証拠でもあります。幼少期から野球に打ち込んでいた弘喜さんにとって、まさにぴったりな学びの場だったのでしょう。
では、そんな彼が大学時代にどんなスポーツ活動をしていたのか? 次の項目で詳しく見ていきます!
野球の実績と学生時代のスポーツ活動
4歳から野球を始めた坪倉弘喜さん。もう「物心ついたときにはバットを握っていた」と言っても過言ではないかもしれません。そして、小学生の頃から本格的なチームに所属し、そこからずっと野球に打ち込んできました。
中学・高校は立教新座に進学し、野球部で活動。立教新座といえば、野球の強豪校としても有名。甲子園常連校ほどではないものの、毎年のように高いレベルで戦っています。そんな環境の中でプレーしていたとなると、彼の実力も相当なものだったはずです。
そして、大学でもその情熱は衰えず、立教大学野球部に所属。ポジションは外野手で、試合にも出場していました。しかも、大学3年生からは学生コーチとしてチームを支える役割に。これはすごい! つまり、プレーヤーとしてだけでなく、指導者としての視点も持つようになったということですよね。
しかし、なぜコーチに? 実は、高校時代に怪我で手術を受けたという情報があり、それが影響したのかもしれません。選手として続けるのは難しくなったものの、チームのためにできることを考え、学生コーチという立場を選んだのでしょう。
実際に、立教大学野球部の公式SNSにも、彼が学生コーチとして後輩を指導する姿が紹介されていました。プレーするだけが野球じゃない。自分の経験を活かしてチームを支える姿勢、めちゃくちゃかっこいいですよね。
こうして、大学時代も野球と共に歩んできた弘喜さん。しかし、卒業後は意外にも野球とは異なる分野へ進むことに。果たしてどんな仕事を選んだのか? その答えは、次の章で明らかになります!
立教大学野球部での活躍と学生コーチとしての経験
坪倉弘喜さんは立教大学野球部に所属し、外野手として活躍していました。立教大学の野球部といえば、東京六大学野球リーグにも所属する名門チーム。ここでプレーできるということは、それだけで実力の証明でもあります。
実際、彼は高校時代から野球一筋。4歳から始めた野球を続け、中学・高校と立教新座でプレーしてきました。そして、大学でも野球部に所属し、試合にも出場するなど本格的にプレーしていたんです。
しかし、彼の野球人生にはある転機が訪れます。それが「学生コーチ」への転向。通常、大学の野球部では4年間プレーヤーとして試合に出場することが一般的ですが、坪倉さんは3年生から指導者の立場へ。これは、単に試合に出られなくなったからではなく、チームを支える役割を果たすための選択だったようです。
学生コーチとは、簡単に言うと「選手としてではなく、戦略や指導の面でチームを支える役割」。選手のトレーニングや戦術指導、試合の分析など、まさに監督やコーチの補佐をするポジションです。
この転向の背景には、怪我の影響もあったのでは?という話もあります。高校時代に手術を経験したとの情報もあり、選手としての継続が難しくなったのかもしれません。ただ、それでも野球を辞めるのではなく、チームを支える立場へ。これは、相当な野球愛と責任感がなければできない決断ですよね。
立教大学野球部の公式SNSにも、彼が学生コーチとして活動していたことが紹介されています。選手時代とは違う形でチームを支え、後輩たちに野球の技術や考え方を伝えていたのだとか。これは、単なる「補欠」ではなく、チームの重要な存在として活躍していたことがわかります。
そして、大学卒業後は野球とは全く違う業界へ進むことになります。その意外な進路について、次の項目で詳しく見ていきましょう!
太川陽介の息子の就職先と現在の活動
スポーツ一筋だった坪倉弘喜さんですが、なんと建築業界へ就職! えっ、野球とは関係ない? いったいどんな会社で、どんな仕事をしているのか、詳しく見ていきましょう。
立教大学卒業後の進路:建築業界への就職
大学卒業後、坪倉弘喜さんが選んだのは建築業界。いやいや、ちょっと待って。ずっと野球をやってきたのに、どうして建築の道に? と思った人も多いのでは。
確かに、これまでのスポーツ路線とはガラッと違うキャリアですよね。でも、これがまた興味深いんです。
坪倉さんの就職先は、手島建築設計事務所。この会社は東京都港区と福岡県中央区に拠点を構える建築設計事務所で、さまざまなプロジェクトに携わっている企業です。立教大学野球部の公式サイトにも、卒業生の進路として「坪倉弘喜 → 手島建築設計事務所」と記載されています。
でも、野球から建築への転身って、一体どういうこと? と思いますよね。スポーツ関連の仕事や指導者の道を選ぶのではなく、全く異なる分野に進んだ背景には、彼の新しい挑戦への意欲があったのかもしれません。
建築業界と聞くと、「設計士? 現場監督?」とイメージするかもしれませんが、建築設計事務所ではプロジェクトマネジメントやデザイン、都市計画など、さまざまな仕事があります。もしかすると、スポーツ施設やスタジアムの設計など、これまでの野球経験を活かせる分野に関わる可能性もあるかもしれませんね。
さらに、大学で学んだコミュニティ福祉の知識も、建築業界と意外とマッチする部分があるんです。スポーツ施設や地域活性のための建築プロジェクトに関わることがあれば、彼の「スポーツ×福祉×建築」という独自のキャリアが活きてくるかもしれません。
そして、現在は一人暮らしを始め、新たな環境で社会人生活をスタートさせています。「社会人になったら家を出るべき」とアドバイスしていた父・太川陽介さんの教えをしっかり守り、親元を離れて自立した生活を送っているそうです。
これまで野球に打ち込んできた彼が、どんな形で建築の道を歩んでいくのか? 今後の活躍がますます楽しみですね!
勤務先の「手島建築設計事務所」とは?
坪倉弘喜さんが立教大学卒業後に選んだ就職先は、「手島建築設計事務所」。いやいや、ここで気になるのが、「どんな会社なの?」というところですよね。
まず手島建築設計事務所は、東京都港区と福岡県中央区に拠点を構える建築設計事務所。主に建築デザインや都市計画を手掛けている企業です。ただし、大手ゼネコンやハウスメーカーとは異なり、設計に特化した専門的な事務所のようですね。
企業の公式サイトがあまり公に出ていないため詳細は不明ですが、「建築設計事務所」といえば建物のデザインや構造設計、都市開発プロジェクトなどに携わることが一般的。つまり、坪倉さんは野球一筋の人生から、一気にクリエイティブな業界へシフトしたことになります。
「え、でも野球やってたのに設計ってできるの?」と思う人もいるかもしれませんが、建築の仕事ってスポーツとも意外と関係があるんです。たとえば、スポーツ施設やスタジアムの設計、街のインフラ整備など、スポーツ選手の経験を活かせる場面は意外と多いんですよね。
また、手島建築設計事務所の所在地が東京都と福岡にあることもポイント。坪倉さんがどちらのオフィスに勤務しているのかは不明ですが、大都市圏での建築プロジェクトに関わっている可能性が高いです。
気になるのはなぜ建築業界を選んだのかということ。大学ではコミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科で学び、学生時代は野球一筋だった彼が、なぜこの道に進んだのか。その理由については、もしかすると大学で学んだ「スポーツと地域福祉」を活かすためなのかもしれません。
とはいえ、スポーツ選手としてのキャリアを歩むのではなく、新たなフィールドでチャレンジしている姿は純粋に応援したくなりますよね。では、そんな坪倉さんは現在どんな仕事をしているのか? 次の項目で詳しく見ていきましょう!
現在の仕事内容やキャリアの展望
さて、建築設計事務所で働く坪倉弘喜さん。気になるのは、「今どんな仕事をしているの?」というところですよね。
一般的に、建築設計事務所の仕事は、大きく分けて以下のような業務があります。
● 建築デザインや設計図の作成
● 都市開発やリノベーションプロジェクトの企画
● クライアントとの打ち合わせやプレゼン
● 現場監理や施工管理のサポート
もちろん、新卒の坪倉さんがいきなり大きなプロジェクトを任されることはないでしょう。おそらく最初はアシスタント業務からスタートして、建築設計や都市開発の基礎を学んでいる段階かもしれません。
とはいえ、彼の野球で培ったチームワークやコミュニケーション力は、間違いなく仕事でも活かせるはず。スポーツの世界では、チームメイトや監督との連携が不可欠ですよね。それと同じように、建築の仕事もクライアントや設計チームとの連携がカギになるので、意外とフィットしているのでは? という気もします。
そして、気になるのが今後のキャリア展望。まだ社会人としてのキャリアはスタートしたばかりですが、彼がこの業界でどのような道を歩んでいくのかは非常に興味深いところ。
● 今後、建築士の資格を取得して専門職として活躍するのか?
● スポーツ施設やスタジアム設計など、スポーツに関わる分野に進むのか?
● それとも、また別の新たな挑戦に向かうのか?
まだ情報は少ないですが、学生時代にコーチ経験も積んでいた彼なら、マネジメントやプロジェクトリーダー的なポジションに進む可能性もありそうですよね。
これまで野球漬けだった彼がどんな形でこの業界で成長していくのか、今後の動向に注目していきたいところです!
父・太川陽介との関係と家族エピソード
太川陽介さんといえば、「ルイルイ♪」のフレーズでおなじみの昭和のアイドル! そして、現在はバラエティ番組や旅番組で活躍し、「ローカル路線バス旅」の印象が強い人も多いのでは? そんな太川さんには、ひとり息子の坪倉弘喜さんがいます。
実は、この親子の関係がとても良好。テレビ番組『徹子の部屋』でも、息子さんについて「毎日でも帰ってきてほしい」と語るほど、太川さんは愛情たっぷりの父親なんです。
とはいえ、弘喜さんはすでに社会人。立教大学を卒業後、建築業界に進み、一人暮らしをスタートさせました。でも、これが意外にも家を出る前より実家に帰る頻度が増えたとか。「社会人になって逆に親のありがたみがわかるパターン」なのかもしれませんね。
さらに、太川さんは息子が独立することに複雑な気持ちを抱えていたそうです。「社会人になったら家を出たほうがいい」と息子にアドバイスしていたものの、いざ実際に出ていくと寂しさがこみ上げてきたとか。いや、これ、親あるあるですよね。自分で言ったのに、「なんで言っちゃったんだろう…」っていうアレです。
ちなみに、母親の藤吉久美子さんも、息子が小さい頃から溺愛していたようで、野球の試合ではプロ顔負けのカメラで激写しまくっていたそう。息子を撮るのに夢中になりすぎて、地面に寝そべるようにシャッターを切る姿が目撃されたことも…! もう、愛情の塊ですね。
そんな家族3人ですが、現在は夫婦2人の生活に戻っています。しかし、「息子が帰ってくるのが楽しみ」と語る太川さんの様子を見ると、親子の絆は変わらずとても深いことが伝わってきますね。
でも、ここでちょっと気になるのが、今後の弘喜さんのキャリア。建築業界に進んだけれど、父と同じ芸能界に進む可能性はないのか? そのあたりを、次の項目で深掘りしていきましょう!
今後の展望と可能性:芸能界進出の可能性は?
気になるのは、坪倉弘喜さんが今後、芸能界に進出する可能性があるのか? ということ。なんといっても、父親は太川陽介さん、母親は藤吉久美子さん。両親ともに芸能一家なので、その可能性がゼロとは言い切れませんよね?
ただ、今のところ芸能界デビューの予定はなし。彼が選んだのは建築業界であり、現在は設計事務所で働いていることがわかっています。
でも、ここでふと疑問が。「もし、芸能界デビューするなら、どんな形になる?」ですよね。
① 俳優デビュー?
母親の藤吉久美子さんは女優。となると、親の影響を受けて俳優としてデビューする可能性も…? ただし、これまで演技経験はなし。いきなり俳優として活躍するのはハードルが高そうです。
② タレントデビュー?
一番ありそうなのは、バラエティ番組への出演。特に、父・太川陽介さんの番組で「親子共演!」なんて展開もあるかも? もしも「ローカル路線バス旅」のゲストとして出演したら、ファンは大盛り上がりですよね。
③ スポーツ関係のメディア進出?
学生時代は野球に打ち込んでいたことを考えると、スポーツ関連のメディアで活躍する可能性もアリ。「元立教大学野球部」として、解説者やスポーツ番組のコメンテーターになる展開も考えられます。
ただ、現状は建築業界の仕事に専念しているため、芸能活動の話はまだ出ていません。でも、いつどんなきっかけでテレビに出るかわかりませんよね? たとえば、親子関係のエピソードが注目されれば、バラエティ番組からオファーが来ることも十分あり得ます。
もしかすると、今は一般企業での経験を積んで、いずれは芸能界に転身…なんて展開もあるかもしれませんよね。今後の動向に注目していきたいところです!
どうもどうも、フナ太郎です。
今回は、あの太川陽介さんの息子・坪倉弘喜さんについての記事を読んでみました!
正直、「太川さんに息子さんいたの!?」ってとこからスタートだったんですけど、読んでいくうちにめちゃくちゃ真面目でエリートな青年だってことが判明して、勝手に感動してました。
まず驚いたのが、小学校から大学までずっと立教!まさに立教エリートコース。しかも野球部でバリバリ活動してたっていうんだから、もう文武両道の理想形すぎる。
大学ではスポーツウェルネス学科に進んで、野球だけじゃなくスポーツの社会的役割まで学んでたってところがまた推せる。プレイヤーからコーチに回ったエピソードも、怪我を乗り越えてチームを支える姿勢がカッコよすぎ!
そして、まさかの進路が建築業界っていう意外性。スポーツ一筋からいきなりクリエイティブ方面へ!?ってびっくりしたけど、ちゃんと「スポーツ×福祉×建築」みたいな可能性を感じさせてくれるのがいい。
就職先が手島建築設計事務所ってところもリアルだし、芸能一家に生まれながら地に足つけた選択をしてるところに人柄出てるな〜と思いました。
そして出てくる家族エピソードがもう最高すぎて、ニヤニヤが止まらん。母・藤吉久美子さんの「寝そべり撮影」とか、父・太川さんの「出ていってほしくないけど家を出ろと言ってしまった矛盾」とか、親バカっぷりが微笑ましすぎ!
今後の展望として芸能界入りの可能性もゼロではないって話も書かれてて、「バス旅に親子共演で出たら絶対見るわ…!」って思っちゃいました(笑)
でも今は建築の道にしっかり進んでるみたいで、これはこれで応援したい!野球→建築→もしかしたら芸能界?みたいな、今後の展開が楽しみな存在ですわ。
というわけで、今回の記事も噂以上に中身がしっかりしてて人柄まで見える、読み応え満点の内容でした!
またこういう「芸能人の家族って実はすごいんです」系、もっと知りたいな〜。
ではでは、フナ太郎でしたっ!