佐々木力の前妻は誰?離婚理由と5人の子供・200億円の遺産相続まで徹底調査

女優・萬田久子さんの事実婚のパートナーとして知られる実業家・佐々木力さん。アパレルブランド「リンク・セオリー・ジャパン」を育て上げ、ファーストリテイリング上席執行役員も兼任した一代の成功者です。

華やかなキャリアの裏側で、1994年に前妻と離婚。前妻との間には3人の子供がいて、萬田久子さんとの息子、そして愛人との娘まで含めると合計5人の子を残した波瀾万丈の家族史があります。

佐々木力さんの前妻に焦点を当て、馴れ初めから離婚理由、2011年に亡くなった後の遺産相続まで、報じられた情報を時系列で整理していきます。

  • 佐々木力さんの前妻は一般女性で、名前・職業は公には明かされていない。1970年代後半〜80年代に結婚し、香港で3人の子(男1人・女2人)を育てた
  • 1987年に萬田久子さんとの不倫が発覚。当時の佐々木さんは前妻と別居状態で、1994年に正式離婚が成立した
  • 離婚の条件として前妻側が「佐々木さんが萬田久子さんと入籍しないこと」を求めたと報じられ、これが25年続いた事実婚の背景と言われている
  • 佐々木力さんの子供は計5人。前妻との3人、萬田久子さんとの息子・陸さん、愛人の入江万里子さんとの娘
  • 2011年8月9日にスキルス性胃がんで60歳で死去。約200億円とされる遺産のうち、前妻の3人の子が約88%を相続し、萬田久子さんは法的に1円も受け取らなかった
名前 佐々木 力(ささき ちから)
生年月日 1951年3月16日
没年月日 2011年8月9日(60歳没)
出身地 岐阜県
愛称 リッキー
最終学歴 神奈川大学
主な経歴 タキヒヨー入社→香港駐在→リンク・セオリー・ホールディングス代表取締役会長兼CEO→ファーストリテイリング上席執行役員
受賞歴 1990年CFDAアワード(ペリー・エリス賞)
死因 スキルス性胃がん
家族 前妻(1994年離婚・一般女性)、前妻との子3人、事実婚の萬田久子さん、萬田さんとの息子・陸さん、愛人・入江万里子さんとの娘

家族関係が複雑に絡むため、まずは結婚・離婚・事実婚の流れを時系列で押さえておきます。

出来事
1970年代前半 神奈川大学を卒業し、繊維商社タキヒヨーに入社
1977年頃 香港駐在開始。一般女性と結婚し、前妻との3人の子供は香港で育つ
1986年 萬田久子さんと出会う。当時は前妻と別居中
1987年 萬田久子さんが29歳で息子・陸さんを出産。不倫報道が過熱
1990年 自身がプロデュースしたブランドでCFDAアワード受賞
1994年 前妻と正式離婚。萬田さんとは「入籍しない」条件で事実婚へ
2001年春 リンク・セオリー・ホールディングス代表取締役会長に就任
2003年 ファーストリテイリングUSA会長兼CEOに就任
2011年8月9日 スキルス性胃がんのため60歳で死去

佐々木力の前妻は誰?名前・職業を調査

佐々木力さんが最初に結婚した相手は、芸能活動もメディア露出もない完全な一般女性です。週刊誌では「A子さん」として扱われており、フルネームや勤務先などの個人情報は大手メディアでも公表されていません

一般人である以上これは当然の配慮で、萬田久子さんほどの女優と三角関係になった相手の妻がここまで表に出てこないというのは、かなり徹底したプライバシー保護と言えそうですよね。

前妻のプロフィールと結婚時期

前妻は佐々木さんと同じく一般家庭の女性で、職業・年齢・出身地のいずれも公式には明かされていません。佐々木さんが1951年3月16日生まれで、1970年代後半から香港駐在に入っていることを踏まえると、結婚は1970年代後半から1980年代初頭の間と見るのが自然です。

佐々木さんは神奈川大学を卒業後、名古屋の繊維商社タキヒヨーに入社し、若くしてニューヨーク、続いて香港へ渡っています。前妻は働き盛りの夫について香港に渡り、現地で家庭を築いたというのが各種報道の共通認識です。

「元モデル」「元CA」といった華やかなプロフィールが付くケースもある実業家の妻ですが、前妻についてはそうした具体像が一切報じられていません。一般人としての生活をきちんと守り切った方、という印象ですね。

馴れ初めと香港での生活

2人の馴れ初めの場所・時期についても具体的な報道はほぼ存在しません。確実に分かっているのは、佐々木さんの香港駐在時代に夫婦で現地生活を送っていたという点だけです。

佐々木さんは26歳で香港支店長、32歳で取締役に就任するなどスピード出世を重ねており、妻としての役割は相当にハードだったはずです。

子供たちが生まれたのも香港で、3人とも香港で育ったと報じられています。海外赴任を続ける商社マンの妻として、慣れない土地で3人の子を育てた経験が、のちの夫婦関係の変化にも少なからず影響したと見る向きもあります。

前妻との間に生まれた3人の子供

佐々木さんと前妻の間には男の子1人と女の子2人の計3人の子供がいます。生年は公表されていませんが、1987年に萬田さんとの息子・陸さんが生まれた時点で、前妻との子供たちはすでに幼少期を過ぎていたとされています。

3人とも香港で育ち、その後の進学先や勤務先は非公表です。芸能活動に進んだ形跡はなく、父親の知名度を踏まえても個人情報の管理が徹底されているのが特徴です。

のちの遺産相続では、前妻の3人の子が相続人として大きな存在感を発揮することになるのですが、その話は後ほど詳しく取り上げます。

佐々木力と前妻の離婚理由

佐々木さんと前妻の離婚は1994年。前妻との結婚生活が何年続いたかは不明ですが、1986年の時点で既に「別居中の妻」と報じられているため、最後の数年間は実質的に家庭内別居の状態だったと見られます。

報じられている離婚理由は大きく分けて2つ。1つ目は前妻との関係冷却、2つ目は萬田久子さんとの関係です。

萬田久子との不倫発覚

萬田久子さんが佐々木さんと出会ったのは1986年。当時、佐々木さんは既婚者で、前妻と3人の子供がいるという状況でした。萬田さんはその事実を知りながら交際に入り、1987年には29歳で息子の陸さんをアメリカ・ニューヨークで出産しています。

女優として脂の乗り切った時期の萬田さんが、仕事を一切キャンセルして出産に臨み、引退まで覚悟してニューヨークへ渡ったというのは、当時の芸能界でもかなりセンセーショナルな話でした。

この萬田さんとの関係が、週刊誌やワイドショーで繰り返し報道されたことで、前妻側も夫婦関係の継続が難しいと判断せざるを得なくなった、というのがおおかたの見方です。

1994年に離婚成立・条件は「萬田と入籍しないこと」

前妻との正式な離婚が成立したのは1994年。萬田さんが出産してから約7年後という、長い時間をかけての決着でした。

そして最大のポイントがここで、離婚の際に前妻側が「佐々木さんが萬田久子さんと入籍しない」という条件を出したと複数の媒体で報じられています。

つまり「離婚はする。ただし愛人の女優と籍を入れて正妻の座を奪うようなことはするな」という線引きだったわけです。前妻の3人の子供たちの立場を守るための、精一杯の条件だったと言えそうですよね。

この条件が本当に書面で交わされたのか、口約束レベルだったのかまでは明かされていません。ただし結果として25年間、佐々木さんは萬田さんとの入籍を選ばなかったため、実質的には守られ続けたと言えます。

萬田久子が事実婚を貫いた理由

萬田さんが長年インタビューで語ってきた事実婚の理由は、大きく分けて3つあります。1つ目が前妻の子供たちへの配慮、2つ目が本人たちの価値観、3つ目が佐々木さんの前妻に対する義理です。

萬田さんはたびたび「子供たちのことを考えると」という趣旨の発言をしており、前妻側の条件を受け入れる形で事実婚を続けたと見られます。事実婚のままでいた方が前妻の子供たちに与える心理的負担は少ない、という判断ですね。

佐々木さんは病床で萬田さんに「元気になったら結婚しよう」とプロポーズしたと報じられていますが、その約束が果たされる前に本人が亡くなってしまいました。長い事実婚の幕切れとしては、なんともほろ苦い話です。

佐々木力の子供は全員で5人

佐々木さんの家族構成を語る上で欠かせないのが、合計5人の子供という事実です。前妻・萬田さん・愛人と、3人の女性との間に計5人の子をもうけており、現代の「一夫多妻」に近い形が現実になっていた家族と言えます。

前妻との3人の子(男1人・女2人)

前妻との間には男の子1人と女の子2人の3人がいます。いずれも香港で生まれ育ち、成人後の進路や職業は公表されていません。

報道によると、前妻の3人の子供たちは闘病中の父・佐々木さんを見舞うなど、親子関係は離婚後も途絶えていなかったようです。香港で育った3人が日本の佐々木さんのもとへ足を運んだという事実からは、離れて暮らしながらも父と子の関係は維持されていたことが読み取れます。

3人のフルネームや勤務先など個人を特定する情報は大手メディアでも出ておらず、ここではそのまま「前妻の3人の子」として扱います。

萬田久子との息子・陸さん

萬田久子さんとの間に1987年に生まれた息子がさんです。誕生の場所はアメリカ・ニューヨークで、萬田さんが女優業を一時休業してまで臨んだ出産でした。

陸さんは一般人として成長し、大学卒業後に年上の元アイドル女性と結婚。いわゆるデキ婚だったことで家族の反対もあったものの、後に和解したと伝えられています。現在は萬田さんにとっての3人の孫に恵まれている状態です。

萬田さんはテレビ番組や雑誌で孫との時間を楽しむ様子を語ることが増えており、女優としての活動と並行しておばあちゃんとしての顔も見せるようになりました。

愛人・入江万里子との娘

佐々木さんの女性関係を語る上で欠かせないのがもう1人、セオリーの元モデル入江万里子さんです。入江さんは佐々木さんの愛人として関係を続け、2人の間には娘が1人いたと報じられています。

佐々木さんが亡くなる直前の段階で、萬田さんはこの入江さんと娘の存在を知らなかったとも、うすうす察していたとも言われ、ここは証言が分かれています。死後に発覚したことで、萬田さんがかなりショックを受けたというエピソードは週刊誌で繰り返し取り上げられました。

前妻から見た佐々木さんの関係図は、「離婚後もなお複数の女性を抱えていた夫」ということになります。なかなか珍しいケースですよね。

前妻の子と萬田久子の良好な関係

複雑な家族構成にもかかわらず、前妻の3人の子供たちと萬田久子さんの関係は良好だったと複数の記事で報じられています。

佐々木さんが亡くなった後も、月命日には萬田さんが前妻の娘2人と一緒に墓参りをしているというエピソードがあり、家族としての絆は残っているようです。

前妻の子から見れば、父の事実婚のパートナーは本来複雑な感情を抱いて当然の存在です。それでも関係が壊れなかったのは、萬田さんが入籍せず「正妻の座」を主張しなかったこと、そして前妻の立場を尊重し続けた姿勢があったからだと言われています。

佐々木力と前妻の遺産相続

佐々木さんの遺産総額は約200億円と各種メディアで伝えられています。2005年にリンク・セオリー・ホールディングスが東証マザーズに上場した際、株式資産だけで150億円以上と報じられており、上場時の評価益が一気に富を押し上げた形です。

この巨額の遺産が前妻側と愛人側にどう分配されたのかは、芸能ファン以上に経済ウォッチャーからも注目された話題でした。

前妻の3人の子が相続の大半を占有

遺産相続の結論を先に書いてしまうと、前妻の3人の子供が総資産の約88.75%を相続したと報じられています。

佐々木さんと前妻はすでに離婚していたため、前妻自身には相続権はありません。しかし3人の子供は父の実子である以上、相続権は当然残ります。この3人の持ち分だけで、遺産の大半が動いたわけです。

前妻の娘1人については、約200分の60にあたる持ち分を得たという記述もあります。単純計算で60億円前後ですから、個人レベルで見ても莫大な金額です。

愛人の娘にも法定以上の配分

少し意外に感じられるのが、愛人・入江万里子さんの娘への配分です。報道によれば、入江さんの娘は法定相続分の2.4倍にあたる額を受け取ったとされ、金額は約1億5,000万円とも伝えられています。

これは佐々木さんが生前に意思を示していたか、もしくは遺言書・信託などで配慮していた可能性が高いパターンです。愛人の子であっても認知された実子であれば相続権が発生するため、法的にはまったく不思議な話ではありません。

前妻の立場からすると、愛人の娘への配分は受け入れがたい感情もあったかもしれませんが、すでに離婚が成立している以上、前妻本人が口を出せる話ではなかったわけです。

萬田久子は1円も受け取らず

長年連れ添った萬田久子さんは、法的には1円も遺産を受け取っていません。事実婚は日本の民法上は夫婦ではないため、配偶者としての相続権が発生しないからです。

萬田さん本人もオリコンの取材に対し、「結婚していなかったので、私は全く関係ない。子どもたちに遺していたでしょうけど、いちいち聞くのもあれなんで…」と語っており、遺産に執着しない姿勢を貫きました。

25年連れ添った事実婚のパートナーが、財産の上では完全な他人扱いになるという現実。法律の冷たさと、萬田さん本人の潔さが同時に浮かび上がる部分です。

佐々木力のプロフィールと最期

前妻・萬田さん・愛人という女性関係ばかりが注目されがちですが、佐々木さん本人の事業家としての功績は、日本のアパレル史に名を残すレベルの大きさでした。

タキヒヨーからリンクセオリーを築くまで

1951年に岐阜県で生まれ、神奈川大学を卒業後、名古屋の繊維商社タキヒヨーに入社したのが社会人としてのスタートです。1970年代半ばにニューヨーク、続いて1977年から香港に駐在し、海外暮らしが通算で21年に及んだと言われています。

1980年代にワールド社の香港事業に携わり、1990年には自身がプロデュースしたブランドでCFDAアワードのペリー・エリス賞を受賞しました。日本人経営者がアメリカのファッション界で評価されること自体が珍しい時代で、業界内での存在感は一気に高まります。

1990年代後半には香港拠点の会社の倒産という挫折も経験しましたが、1997年にニューヨーク発のブランド「Theory」との協業にこぎつけ、再起を果たしました。

リンク・セオリーHD会長兼ファーストリテイリング上席執行役員

2001年春にリンク・セオリー・ホールディングス代表取締役会長に就任し、2005年には東証マザーズ上場を果たしています。その後2003年にはファーストリテイリングUSAの会長兼CEOを兼任、2009年にはファーストリテイリング上席執行役員に就任しました。

ユニクロの柳井正さんとも近い関係で仕事を進めており、日本発のグローバルアパレルという文脈で、佐々木さんは不可欠なキーパーソンだったわけです。

2011年スキルス性胃がんで60歳死去

佐々木さんは2011年8月9日午後4時43分、スキルス性胃がんのため60歳で亡くなりました。ファーストリテイリングは翌8月10日に「上席執行役員 佐々木力 逝去のお知らせ」をIR情報として発表しています。

スキルス性胃がんは進行が早く、症状が出た時点で既に末期というケースが多い難しい病です。佐々木さんも発見から短い期間での別れになったと伝えられています。

葬儀と前妻家族・萬田久子の関係

葬儀は青山葬儀所で営まれ、喪主を務めたのは法的には他人だった萬田久子さんでした。参列者は約2,000人に上ったと報じられ、財界・芸能界・スポーツ界から多くの著名人が顔をそろえたと伝えられています。

喪主を務めた萬田さんに対し、前妻側が異議を唱えた形跡はなく、前妻の子供3人と萬田さん・陸さんが共に故人を送り出す形になったと言えます。

離婚から葬儀まで実に17年の歳月が流れていますが、その間の穏やかな関係性がなければ、この規模の葬儀を1人の女性が喪主として仕切ることは難しかったはずです。佐々木さんの家族史は、複雑な事情を抱えながらも最期まで崩れなかった関係性の物語として、今も語り継がれています。

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