俳優・落語家として知られる風間杜夫さんは、2026年に入ってもTBSドラマ『終のひと』やNHK BS時代劇『あきない世傳 金と銀3』に立て続けに出演する現役バリバリの芸能人です。
「最近テレビで見かけないけれど今どうしているの?」「病気で引退したのでは?」という声もネット上には散見されますが、実際のところ本人は2026年3月にもひとり芝居の最新作を上演しており、舞台を主戦場として活躍を続けています。
ここでは2026年4月時点の最新活動、病気の噂、蒲田行進曲やスチュワーデス物語で一世を風靡した若い頃、そして妻や娘・息子・孫との家族模様まで、公式情報と大手メディア報道をもとに整理しました。
- 2026年は『終のひと』『あきない世傳 金と銀3』など舞台・ドラマに出演中
- 2016年に大腸ポリープ30個が見つかったが良性で、現在も元気に活動
- 1974年に一般女性・訓子さんと結婚し、息子一家と同居している
- 娘の住田未歩さんは作家として活動し、孫は男女あわせて4人
- 本名は住田知仁で、麻雀番組「われめDEポン」で8回優勝した腕前
| 芸名 | 風間杜夫(かざま もりお) |
|---|---|
| 本名 | 住田知仁(すみた ともひと) |
| 生年月日 | 1949年4月26日(2026年4月時点で76歳) |
| 出身地 | 東京都世田谷区三軒茶屋 |
| 学歴 | 玉川学園中学部・高等部→早稲田大学第二文学部演劇専修(中退) |
| 所属事務所 | トムプロジェクト |
| 職業 | 俳優・落語家 |
| デビュー | 1957年(8歳・児童劇団「東童」入団) |
| 配偶者 | 訓子さん(1974年結婚) |
風間杜夫の現在の活動【2026年も舞台とドラマで現役続行】
2026年現在の風間杜夫さんは、舞台を中心に置きながらTBSやNHKのドラマにも客演する形で、テレビ露出こそ減ったものの第一線で活動を続けている状況です。所属事務所トムプロジェクトの公演情報でも、年間を通じてほぼ途切れることなく出演スケジュールが組まれています。
2026年ドラマ『終のひと』『あきない世傳 金と銀3』に連続出演
2026年2月25日放送のTBSドラマストリーム『終のひと』第6話に、主人公・嗣江宗助の父である嗣江宗玄役で出演したのが直近の大きな話題です。同作は柿澤勇人さん主演で2026年1月から4月まで放送されたヒューマンドラマで、風間さんは続く第11話(2026年4月1日放送)にも再登場しています。
さらに2026年4月5日からNHK BSで始まった『あきない世傳 金と銀3』では、歌舞伎役者・菊瀬栄次郎役を担当。小芝風花さん主演のシリーズ完結編を支える実力派キャストの一人として起用されました。
前シリーズの『金と銀2』江戸編から続投しているため、すでにキャラクターを体に馴染ませた上での出演というわけです。70代半ばでも時代劇と現代劇の両方で声がかかる俳優は決して多くなく、風間杜夫さんの地力の高さが表れていると言えそうですね。
ひとり芝居「牛山明シリーズ」最新作で主演
舞台人としての風間さんを象徴するのが、ライフワークになっているひとり芝居です。2026年3月25日から3月29日にかけて、こくみん共済coop ホール/スペース・ゼロで風間杜夫ひとり芝居「牛山明シリーズ」最新作が上演されました。
脚本・演出は長年タッグを組んでいる水谷龍二さんで、中年サラリーマン「牛山明」の人生を描く人気シリーズの続編にあたります。『カラオケマン』『帰ってきたカラオケマン』と続いてきたシリーズは、舞台上にたった一人で立ち続ける緊張感とユーモアが支持されている作品です。
加えて2026年7月26日には香川県のレクザムホール小ホールでも舞台公演が予定されており、地方公演もコンスタントに続けている状況が確認できますよね。
1997年から続ける落語家としての高座活動
風間さんは俳優業と並行して、落語家としても四半世紀以上キャリアを積み上げていることで知られます。きっかけは1997年にテレビ番組で一席を披露したことで、そのまま本格的に高座へ上がるようになりました。
出囃子は代表作にちなんだ「蒲田行進曲」で、横浜にぎわい座などで年に2回程度の割合で独演会を開いています。演目は古典から新作まで幅広く、俳優ならではの間と表情で独自の世界観を作り上げているのが特徴です。
2024年以降は各地のホールで独演会ツアーを展開しており、俳優としての顔より落語家としての顔のほうを先に知ったという若い世代のファンもいるほど。一人の人間が俳優・落語家・麻雀プロ級と三足のわらじを履いている例は、芸能界を見渡してもなかなか珍しいケースです。
風間杜夫が病気で消えた?引退・死亡説の真相
「風間杜夫 現在」と検索すると、「病気」「死亡」「引退」といったサジェストが並びます。どれも読者を不安にさせるワードですが、2026年4月時点で風間さんの死去や完全引退を伝えた大手メディアの報道は存在しません。噂の背景と実情を整理します。
2016年に公表された大腸ポリープ30個の衝撃
病気説の出発点になっているのが、2016年にテレビ朝日『徹子の部屋』で風間さん自身が語った大腸ポリープのエピソードです。検査の結果、大腸に30個のポリープが見つかり、大きかった7個を切除したと明かしました。
番組内では「幸い良性だった」と本人がコメントしており、その後も定期的な検査を続けていることが各メディアのインタビューで触れられています。悪性腫瘍や重篤な疾患に進行したという報道は見当たらず、健康管理意識の高さを示すエピソードとして紹介されることが多い話です。
コロナ禍の自粛期間とウォーキング8000歩の健康習慣
風間さんが「最近見ない」と言われた最大の理由は、2020年前後のコロナ禍で舞台が相次いで中止・延期になった影響です。本人は婦人公論などのインタビューで「舞台の仕事が自粛になって生活のリズムが崩れた」「体重が増えてしまった」と率直に振り返っています。
その反省から夫婦でウォーキングを始め、現在は1日8000歩程度を目安に歩く習慣を続けているとのこと。75歳を超えてなお主演ひとり芝居で2時間近く舞台上に立てるのは、この地道な健康管理があってこそというわけです。
死亡説・引退説は事実無根
ネット上の一部ブログでは「風間杜夫 死亡」「風間杜夫 引退」といった見出しも見かけますが、いずれも公式発表や大手メディアの報道はありません。先述の通り2026年時点でドラマと舞台に複数本出演しており、所属事務所トムプロジェクトの公式ページも通常運用が続いています。
テレビの連続ドラマでの主演がなくなったことや、同世代のベテラン俳優が相次いで訃報を伝えられていることが、こうした憶測を生む土壌になっていると考えられます。少なくとも現時点では、死亡説も引退説も事実と異なる噂と断言してよい段階ですよね。
風間杜夫の経歴と全盛期【蒲田行進曲とスチュワーデス物語】
現在は穏やかな語り口のベテラン俳優という印象ですが、若い頃の風間さんは遅咲きのスターとして一気に駆け上がったキャリアの持ち主です。子役時代から国民的ブレイクまでの流れを追います。
8歳で児童劇団「東童」入団した若い頃
風間さんが芸能界に足を踏み入れたのは1957年、わずか8歳のとき。児童劇団「東童」に入団し、翌1958年には東映児童演劇研修所の一期生として本格的な演技訓練を受け始めました。
子役時代の出演作を辿ると、テレビドラマやラジオドラマに継続的に起用されていた記録が残っています。一度演劇から距離を置いた時期もありましたが、1972年に日活ロマンポルノで成人俳優として銀幕デビューし、1974年の大河ドラマ『勝海舟』で再びテレビドラマの世界に戻ってきました。
1982年映画『蒲田行進曲』で遅咲きの開花
転機となったのが1982年公開の映画『蒲田行進曲』です。深作欣二監督に撮影直前で抜擢され、平田満さん、松坂慶子さんとのトライアングルで撮影所の世界を描き切りました。
翌年の第6回日本アカデミー賞で最優秀助演男優賞を受賞し、さらに同年の『陽暉楼』『人生劇場』でも同賞を連続獲得する快挙を達成。30代を過ぎてからの大ブレイクというわけです。
『スチュワーデス物語』教官役で国民的人気
1983年からTBS系で放送されたドラマ『スチュワーデス物語』では、堀ちえみさん演じる主人公・松本千秋を厳しく指導する村沢浩教官役を好演。「ドジでのろまな亀」のキャッチフレーズと併せて社会現象になりました。
映画スターと連ドラのスターという二枚看板を同時に手に入れた時期で、1980年代の風間杜夫さんは日本を代表する二枚目俳優の一人として数えられる存在でした。
その後も時代劇『八百八町夢日記』や朝ドラ『ゲゲゲの女房』『マッサン』『エール』、月9ドラマ『CHANGE』など、時代を代表する作品に名を連ね続けています。出演本数の多さと作品の幅広さは、現在の若手俳優と比べても際立つレベルですよね。
日本アカデミー賞・紫綬褒章・旭日小綬章の受賞歴
受賞歴を振り返ると、1982年・1983年の日本アカデミー賞最優秀助演男優賞に続き、2003年には文化庁芸術祭大賞、2010年には紫綬褒章、そして2023年には旭日小綬章を受章しています。
俳優が国からの褒章を受けるのは演劇界への長年の貢献が評価された証で、舞台・映像・落語を横断する活動が公的にも高く評価されているということになります。
風間杜夫の家族【妻・娘・息子・孫4人の現在】
プライベートでは1974年に結婚して以来、50年以上連れ添ってきた奥様と、作家として活躍する長女、編集者として働く長男、そして4人の孫に囲まれて過ごしているというのが風間さんの現在です。家族関係は総じて良好で、本人もインタビューで家族を語る場面が多く見られます。
妻・訓子さんとの馴れ初めは大竹まこと紹介
妻の名前は訓子(くにこ)さんで、1974年、風間さんが25歳のときに結婚しました。当時訓子さんは短大生で、大竹まことさんが店長をしていた喫茶店でアルバイトをしており、大竹さんの紹介で出会ったと複数メディアで伝えられています。
後にケースワーカーとして働いていた時期もあったと報じられており、芸能界とは無関係の一般人です。結婚から2026年で52年目を迎える長寿婚で、コロナ禍以降は夫婦でウォーキングに出る習慣が定着したと本人が婦人公論のインタビューで語っています。
長女・住田未歩さんは上智大卒の作家
長女の住田未歩さんは1983年生まれで、上智大学文学部フランス文学科を卒業した才媛と報じられています。メディア関係の会社に勤務した後、2007年に小説『ドレスデン、運命の日』で作家デビューを果たしました。
2013年には芸能事務所ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)のプロデューサー・河原聖さんと結婚したと各メディアで伝えられています。現在は2人の娘(小学生)を育てる母親でもあり、父譲りの表現力を活かしながら執筆と子育てを両立しているようです。
長男は角川書店の編集者で同居中
長男(氏名非公表)は角川書店(KADOKAWA)で編集者として働いていると報じられており、風間さん夫妻は息子一家と同居する形をとっているとされます。同居のきっかけや時期については公式な発表はありませんが、孫との距離感の近さは各種インタビューからうかがえるところです。
一般人のため詳細なプロフィールは公表されておらず、顔出し・氏名の報道もありません。芸能界ではなく出版の世界に進んだという点で、父親の背中を別の形で継いだと言えるかもしれませんね。
孫4人との暮らしぶり
風間さん夫妻の孫は4人で、内訳は息子家族の男の子2人と、娘家族の女の子2人。テレビ朝日『徹子の部屋』の出演時には「孫たちと過ごせる時間は至福の時」と語り、家族旅行が働くモチベーションになっていると公言しました。
娘さん側の孫2人はそろって水泳教室に通っており、特に上の子は全種目をマスターしているとのエピソードも披露されています。75歳を超えて4人の孫と遊べる体力を維持している点が、日々のウォーキング習慣の成果という話です。
風間杜夫のプロフィール・学歴・意外な麻雀の腕前
最後に、読者が補足的に知りたがる本名・学歴・特技といった基本情報を整理します。本人が語ってきたエピソードには、俳優とは直接関係ない意外な一面も含まれています。
学歴は早稲田大学第二文学部中退
風間さんは玉川学園中学部・高等部を経て、早稲田大学第二文学部演劇専修に進学しました。ただし学業より演劇活動に熱中し、在学中に中退しています。
大学時代には劇団活動にのめり込んでおり、この頃の仲間や経験が後のつかこうへい事務所への参加につながりました。「学歴より現場」というキャリアの築き方を体現した人物でもあるわけです。
本名「住田知仁」と意外な芸名の由来
本名は住田知仁(すみた ともひと)。子役時代は本名で活動しており、「住田知仁」名義の出演記録は1950〜60年代のテレビ・映画作品に多数残っています。
現在の芸名「風間杜夫」はつかこうへい作品への参加を機に名乗ったもので、以降この芸名で活動を続けています。俳優としての顔を固めてからは本名を表に出す機会はほぼなく、家族ぐるみの「住田」姓がメディアに出るのは娘の住田未歩さんが作家として登場する場面に限られています。
麻雀で「われめDEポン」8回優勝の腕前
意外な特技として知られるのが麻雀です。フジテレビ系で放送されていた長寿麻雀番組『THEわれめDEポン』で通算8回の優勝を記録しており、芸能人雀士としてトップクラスの実力を持つ人物として業界内で知られる存在でした。
落語、麻雀、ひとり芝居、そして俳優業。一つの分野で極めた上で、隣接するジャンルへ積極的に領域を広げていくスタイルは、風間杜夫さんのキャリアを象徴する姿勢だと言えそうですよね。

