椎名もたの死因は小田急人身事故?最後のツイートといじめの過去!

ボーカロイドソフトを用いて楽曲を制作するボカロP

そのボカロPとして、ニコニコ動画を中心に数々の名曲を発表していた椎名もたさんが、2015年7月23日に亡くなりました。

あまりにも突然の発表に、当時ネット上は騒然となりました。

20歳という若さでこの世を去った椎名もたさん。彼の死因は、公式には未だ明かされていません。

なぜこのようなことが起きてしまったのか? まずは当時語られた状況と、ネット上で囁かれた噂の真相について整理します。

椎名もたの死因は不明、亡くなった当日にも新曲を投稿

結論から申し上げますと、死因は現在に至るまで公表されていません。

葬儀と告別式は近親者のみで執り行われましたが、その後、7月28日にかわさき南部斎苑にてお別れ会「ceremony of siinamota」が行われました。

「最後にいろんな人に来て欲しい」というご遺族の意向により、しめやかな葬儀ではなく、DJ・VJによるライブ形式のパーティーとして開催されたそうです。

参加した方の証言によると、会場には愛用していたPC周りの制作環境がそのまま再現されていたとのこと。最後まで「音楽家・椎名もた」として送り出されたことがわかります。

椎名もたさんといえば『少女A』や『Q』など、独創的な世界観で数多くのファンを魅了してきました。それだけに、訃報が流れた際の衝撃は計り知れません。

実は、亡くなった当日(7月23日)にも、新曲「赤ペンおねがいします」を投稿したと自身のSNS上で発表していたのです。

この投稿の直前まで、彼はツイートしている様子が見られました。

直前まで創作活動を続けていたからこそ、その死はあまりにも唐突で、受け入れがたいものでした。

遺作となったこの曲の歌詞は、改めて読み返すと妙に生々しく、彼自身の「叫び」や「感情」をありったけ詰め込んだようにも感じられます。

椎名もたの死因は自殺だったのか?繊細すぎた性格と苦悩

元々、精神的な浮き沈みが激しいと言われていた椎名もたさん。

そのことから、ファンの間では「自ら命を絶ってしまったのではないか?」と噂され続けています。

彼は非常に完璧主義な性格だったようで、曲の反応が思わしくなかったり、制作が上手くいかないと「生きる価値がない」といった悲痛な言葉をSNSに投稿することもありました(現在は削除されています)。

その不安定さの背景には、過去の壮絶な経験があったのかもしれません。

椎名もたさんは、学生時代にいじめを受けていたことを告白しています。中学校では吹奏楽部に所属していましたが、先輩からのいじめにより退部を余儀なくされました。

当時のインタビュー記事を読むだけでも、その苦しみが伝わってきます。

また、2012年(当時17〜18歳)のインタビューでは、高校入学後にうつ病を発症してしまったとも語っていました。

こうした経緯もあり、10代の頃は家に引きこもりがちになり、その逃げ場所であり自己表現の場として、楽曲制作に没頭していたようです。

遺作『赤ペンおねがいします』の動画コメント欄には、心無い言葉も書き込まれていたと言われています。「昔の方が好きだった、今は勢いがない」といった、残酷な比較の言葉です。

音楽と共に生きてきた彼にとって、その言葉はどれほど重く響いたでしょうか。

良くも悪くも感受性が高いクリエイターにとって、ネット上の無責任な言葉は、時に矢のように胸に突き刺さります。

真相は彼にしか分かりません。しかし、椎名もたさんが命を削るようにして素敵な楽曲を遺してくれた事実は変わりません。

さて、ネット上ではもう一つ、死因について具体的な噂が流れたことがありました。「人身事故」説です。その根拠と真相について検証します。

死亡日当日の「人身事故」説はデマである可能性が高い

椎名もたさんが亡くなった2015年7月23日、確かに小田急線で人身事故が発生しています。亡くなったのは20代前後の男性と報じられました。

さらに、事故が起きた時間帯は、椎名もたさんが最後のツイートをした約45分後でした。

「SNSの投稿が途絶えた時間」と「事故発生時刻」、そして「年齢・性別」が重なったことで、「これが本人なのではないか?」という噂が急速に広まりました。

「単なる偶然では?」と思う方もいるかもしれませんが、噂を補強してしまったのが「住所」です。過去に『ヘアーサロンカサハラ(百合ヶ丘)』を利用しているツイートを投稿していたことなどから、椎名もたさんの住まいが「百合ヶ丘」付近であることが分かっています。

事故現場と居住エリアが近いことから、信憑性があるように感じられたのです。

しかし、この説には決定的な矛盾があります。

お別れ会に参加し、最後のお別れをした方々が、口を揃えて「眠っているかのように、本当にきれいな顔だった」と証言しているのです。

電車の人身事故であれば、遺体に激しい損傷が残るため、綺麗な状態で対面することは極めて困難です。

このことから、小田急線の事故で亡くなった男性は、恐らく他の方である可能性が高いと言えます。

家庭環境の複雑さと、SNSに吐露した苦悩

6人家族だった椎名もたさんですが、家庭環境は必ずしも円満だったとは言えないようです。

彼はかつて「古河のろ」という名義で活動しており、そのアカウント上で家庭環境への悩みや不満をツイートしていました(現在はアカウント削除済み)。

15歳だった2010年頃から投稿されていたその内容は、繊細な彼が抱えていた孤独を感じさせるものでした。

次第にネット上で批判的な言葉を浴びせられることが多くなり、2011年初頭には活動休止に追い込まれます。

後のインタビュー(2012年3月)では、この活動休止中に躁鬱(そううつ)状態にあったことを赤裸々に語っています。

メンタル面の不調は長く続き、「自殺をする」といった言葉をネットに書き込んだことも何度かあったようです。

また、亡くなる数ヶ月前のインタビューでも、「行きたい高校に行けなかった」という過去の挫折について触れています。このように、家族との関係や進路の悩みは、彼の中で長く燻り続けていたのかもしれません。

彼は以前、ネット上にネガティブな感情を書き込んでしまう心境について、以下のように語っていました。

「今思えば、不幸も幸福も人に見せびらかしちゃダメなんだなって思うんです。でも、そのときは見せびらかしちゃって、『死んでやる』みたいなことも言っちゃって。ちょっと神経がいかれちゃってて、ネット上の自分に対する悪口とか、見なきゃいいことも見ずにはいられなくなってたんですよね。」

「見なきゃいい事を見ないままでいる」ことが、どれほど難しいか。 SNS社会を生きる現代人にとって、この言葉はあまりに切実です。

椎名もたの死因は病気(突然死)だったのか?

人身事故説が否定される最大の理由は、前述の通り「眠るように綺麗な顔だった」という証言です。ここから、突発的な病気が原因だったのではないかという意見も根強くあります。

よく挙げられるのは脳卒中や急性心不全といった、外傷を伴わない突然死です。 これらは高齢者の病気と思われがちですが、遺伝や体質によっては若い世代でも発症する可能性があります。

また、「急性白血病ではないか?」という噂もありました。 しかし、亡くなる前日は渋谷で買い物を楽しむ様子が目撃されており、あまりにも進行が急激すぎるため、疑問が残ります。

元気な様子からわずか1日での急変。 病気だった可能性も完全には否定できませんが、やはり公式発表がない以上、真相は闇の中です。

「椎名もたは生きている」という噂と、伝説となった『少女A』

実は、彼が亡くなった後に「椎名もたは生きているのではないか?」という噂が流れたことがありました。

その理由は、彼が亡くなった2ヶ月後の9月23日に、新曲「ヘルシーエンド」が投稿されたからです。

しかし、これは彼が生きていたわけではありません。彼の遺志を継いだ友人であり、同じくボカロPのYuma Saito氏によって代理投稿されたものです。

この投稿は、多くのファンにとって「彼からの最後のメッセージ」として受け取られました。

そして2026年現在。 椎名もたさんは亡くなりましたが、彼の音楽は、当時以上の勢いで世界中を席巻しています。

特に代表曲である『少女A』の快挙は、皆さんの記憶にも新しいのではないでしょうか。

死後10年を経て「世界一聴かれたボカロ曲」へ

没後10年が経過しようとする中で、TikTokなどをきっかけに『少女A』が世界的なバイラルヒットを記録しました。

その勢いは凄まじく、次々と歴史的な記録を塗り替えています。

  • 2024年3月:Spotifyでの累計再生数が1億回を突破
  • 2025年5月:YouTubeでの再生数が1.5億回を突破

そしてついに2025年、YouTubeの再生数において歴代トップだった『グッバイ宣言』を抜き、「ボカロ楽曲として史上最も再生された曲(歴代1位)」の座に輝きました。

作者が不在の中で、楽曲だけが国境を超えて愛され、ボカロ史に残る金字塔を打ち立てたのです。

まとめ:椎名もたの肉体は滅びても、その才能は生き続ける

椎名もた(ぽわぽわP)さんの死因については、自殺、事故、病死など様々な憶測がありますが、ご遺族が公表しない以上、私たちがこれ以上詮索すべきではないのかもしれません。

確かな事実は2つだけです。 彼が20歳という若さで旅立ってしまったこと。 そして、彼が遺した音楽が、今もなお世界中の人々の心を救い続けていることです。

動画サイトのコメント欄には、今も毎日のように「この曲に出会えてよかった」「生きていてほしかった」という言葉が、世界中の言語で書き込まれています。

肉体はなくなっても、作品は生き続ける。 椎名もたさんは、まさに「音楽となって永遠に生き続ける」存在になったのかもしれません。

改めて、稀代の天才ボカロP・椎名もたさんのご冥福をお祈りいたします。

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