24時間テレビのマラソン企画で30年以上タレントを走らせ続けた坂本トレーナーこと坂本雄次さんは、2024年のやす子さんのチャリティーマラソンを最後に番組を「卒業」しました。
長年のパートナーだった妻・節子さんを2024年3月に亡くし、同年12月には61年の愛を綴った著書『天国ゆきのラブレター』を発表。2026年現在の坂本トレーナーは、ランナーズ・ウェルネス会長として経営に関わりながら、講演や執筆を通じて走ることの尊さを伝え続けています。
死亡説や病気説もネットで浮上していますが、実際はどうなのか。最新の公式情報と大手メディア報道をもとに、坂本トレーナーの現在と歩みを整理しました。
- 2026年4月時点で坂本雄次さんは78歳、健在で活動中
- 2024年『24時間テレビ47』のやす子さんサポートで32年の番組キャリアに区切り
- ランナーズ・ウェルネス社長は2022年10月に退任、後任は比企啓之氏
- 妻・節子さんは2024年3月に逝去。61年の愛を綴った著書を2024年12月に発売
- ネットで流れる「死亡説」は事実無根で、公式活動は継続中
| 本名 | 坂本 雄次(さかもと ゆうじ) |
|---|---|
| 生年月日 | 1947年10月26日(2026年4月時点で78歳) |
| 出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
| 職業 | ランニングプロデューサー/マラソントレーナー |
| 主な役職 | 株式会社ランナーズ・ウェルネス 会長(2022年10月に社長退任) |
| 代表的な活動 | 日本テレビ『24時間テレビ』チャリティーマラソン監修(1992年〜2024年) |
| 著書 | 『天国ゆきのラブレター 339通にこめられた奇跡の物語』(2024年12月、主婦の友社) |
| 家族 | 妻・節子さん(2024年3月逝去)、子供なし |
坂本トレーナーこと坂本雄次の現在の活動【2026年最新】
2026年4月時点の坂本雄次さんは、78歳にしてランナーズ・ウェルネスの会長を務めながら、講演活動と執筆活動を中心に健在です。現場の第一線からは一歩引いたものの、30年以上築き上げてきた市民ランナー文化を次世代に手渡す役割へとシフトしています。
2024年『24時間テレビ47』やす子さんのサポートで番組を卒業
日本テレビ『24時間テレビ47』(2024年8月放送)でやす子さんが挑んだチャリティーマラソンのサポートを最後に、坂本トレーナーは32年間続けてきた番組監修の立場に区切りをつけました。
女性自身の独占取材で坂本さんは「私は今年までですけど」と番組卒業を明言しており、やす子さんへの最後の助言も紙面で語っています。1992年の第1回ダチョウ倶楽部・間寛平さん以来、32年連続で番組に関わってきた名物プロデューサーの集大成となった回でした。
歴代チャレンジランナーのほぼ全員を指導してきた経歴は、日本のチャリティーマラソンの歴史そのものと言っても過言ではないですよね。
ランナーズ・ウェルネス会長として経営を後進に託す
坂本さんが1993年7月に設立した株式会社ランナーズ・ウェルネスは、湘南国際マラソン・横浜マラソン・各地のウルトラマラソンを企画運営する日本屈指のマラソン運営会社です。
2022年10月、坂本さんは代表取締役社長を退任し、後任には現在の代表取締役社長である比企啓之さんが就任しました。坂本さん自身は会長として見守る立場に移ったと報じられています。
自分が育てた会社から経営のフロントを離れるタイミングを自ら決め、後進に道を譲る潔さは、長年現場を見てきた人ならではの判断と言えそうです。
講演活動・著書発表など発信活動は活発
現役を退いたとはいえ、坂本さんの発信は止まっていません。Amebaオフィシャルブログ「勝手なつぶやき」や公式サイト「生きること走ること」を通じて、ランニングの楽しさや健康づくりについて継続的に発信しています。
さらに2024年12月25日には自身初のエッセイ『天国ゆきのラブレター』を主婦の友社から出版。発売後には各種トークイベントやメディア出演も行い、森三中・大島美幸さんらから「最初は寅さん的な雰囲気でしたが」と語られるなど、芸能関係者との親交も健在ぶりを裏付けています。
2024年には新たに「日本細見旅づくり」という異ジャンル事業にも取り組んでいると主婦の友社の公式リリースで発表されており、地域の魅力を発掘する活動へと関心が広がっている様子です。
現在の健康状態と死亡説の真相
検索サジェストには「坂本雄次 死亡」「坂本トレーナー 病気」といった不穏なワードが並びますが、2026年4月時点で坂本雄次さんが死去した事実はありません。公式ブログの更新、講演、メディア出演が継続的に確認されており、死亡説は完全にネット上の憶測です。
長期入院や闘病も報じられていません。過去に椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、左大腿骨の人工股関節置換手術を経験したことは本人が著書やブログで明かしていますが、現在は大きな問題なく日常生活を送っています。「見かけなくなった=何かあった」という検索心理が、こうしたデマの温床になっているわけです。
坂本トレーナーが24時間テレビマラソンから卒業した理由
32年間休まず関わり続けた坂本トレーナーが、なぜ2024年で番組から身を引いたのか。理由はひとつではなく、年齢・健康・番組の変化・個人の事情が重なった複合的な決断でした。
1992年の間寛平さんから始まった32年の歩み
『24時間テレビ』マラソン企画の初代チャレンジャーは1992年の間寛平さんで、そのトレーナーが当時45歳の坂本雄次さんでした。
間さんとは1990年に出会い、ギリシャの超長距離レーススパルタスロン(約246km)への挑戦を2年がかりでサポート。2年目で間寛平さんをスパルタスロン完走に導いたのが、坂本さんの名を日本中に知らしめるきっかけとなりました。
以後、山田花子さん・エド・はるみさん・徳光和夫さん・羽鳥慎一さん・いとうあさこさん・EXIT兼近大樹さん・やす子さんなど、歴代ほぼ全てのランナーを指導。陰でタレントを叱咤激励し続けた姿は、番組の象徴そのものだったと言えます。
椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症・人工股関節の歴史
坂本トレーナー本人が公表している過去の怪我・手術歴は以下の通りです。
長年の走り込みで椎間板ヘルニアを発症し、さらに脊柱管狭窄症を併発。晩年には左大腿骨の人工股関節置換手術も受けています。これほどの故障歴を抱えながらランナーに並走し続けてきたこと自体、驚異的というほかありません。
2022年のEXIT兼近大樹さんサポートあたりから自分の足で並走する場面は減り、自転車での伴走に切り替わっていました。身体に無理をかけない方法で最後まで現場に立った判断は、プロとしての矜持を感じさせますね。
妻・節子さんの介護と2024年3月の逝去が背中を押した
番組卒業の背景として見過ごせないのが、妻・節子さんの長期介護です。節子さんは2010年頃に大病を患い在宅療養生活に入り、2015年には膵臓がんの手術を受けたと報じられています。坂本さんは介護と仕事を両立しながら24時間テレビへ毎年向かっていたわけです。
そして2024年3月、節子さんはこの世を去りました。直接のきっかけは同年初頭の転倒による骨折入院だったと『天国ゆきのラブレター』で明かされています。
最愛の妻を見送った年の8月に番組へ臨み、やす子さんを完走に導いた上で「今年までで卒業」を決意した流れは、人生の大きな節目が重なった結果だったと言えます。
坂本トレーナーの経歴・全盛期の活躍
「24時間テレビの人」という印象が強い坂本さんですが、そのキャリアはテレビ番組だけにはとどまりません。東京電力サラリーマン時代から市民マラソン文化の開拓者として歩んだ半世紀を振り返ります。
茅ヶ崎出身・元東京電力駅伝監督という異色の経歴
坂本さんは1947年10月26日、神奈川県茅ヶ崎市の生まれ。当時は海と松林に囲まれたのどかな町で、走ることが身近にある環境で育ったといいます。東京電力に入社後、1976年頃から「太り気味を気にして」ランニングを始めたのが人生を変える最初の一歩でした。
社内駅伝大会の監督を上司から任されたのがきっかけで、東京電力陸上部の駅伝監督を約15年務めます。サラリーマンをしながら市民ランナーを束ねるうちに、「走ることを生業にできないか」という発想が生まれた、と本人はメディアで振り返っています。
1990年に間寛平さんとスパルタスロンで出会う
転機は1990年。吉本興業のタレント・間寛平さんがギリシャの超長距離レーススパルタスロンに挑むことになり、そのトレーナー役を坂本さんが引き受けました。
1年目は惜しくも完走ならずでしたが、2年目に完走。この実績がテレビ局の目に留まり、1992年の24時間テレビマラソンで間寛平さん+坂本トレーナーのタッグが実現することになります。
その後の番組史は先述の通りで、坂本さんはほぼ毎年どこかの誰かに並走しているという、番組にとって欠かせない存在となりました。
1993年にランナーズ・ウェルネス設立、市民マラソンのパイオニアに
1993年7月、坂本さんは株式会社ランナーズ・ウェルネスを設立。湘南国際マラソン・横浜マラソン・各地のウルトラマラソン・リレーマラソンなど、現在の市民マラソン文化を形づくった数々のイベントを企画運営してきました。
「ランニングスポーツを公金に頼らず地域振興として位置づけた第一人者」という評価は、主婦の友社の公式リリースでも改めて紹介されています。スポーツイベントが単なる興行ではなく、地域経済・観光・健康づくりの核になるモデルを先駆けて提示した人物ですね。
著書・講演活動でも発信を継続
坂本さんはこれまでにも『生きること走ること』『走れば、強くなる。』など複数の著書を出版し、法人向け講演や学校向け講話も数多く行ってきました。スピーカーズ.jpやリクエージェンシーなどの講演エージェント経由で依頼を受け付けており、現在も現役の講演者として活動している旨が公式プロフィールで確認できます。
坂本トレーナーの妻・節子さんと61年の愛の物語
坂本雄次さんを語るうえで絶対に外せないのが、妻・坂本節子さんとの61年にわたる純愛です。2024年12月発売の著書『天国ゆきのラブレター』はこの夫婦の歩みを丸ごと描いた一冊で、発売直後から大きな話題を集めました。
15歳の修学旅行でバスガイドに一目惚れ、337通の文通
2人の出会いは1962年、坂本さんが中学生だった頃の修学旅行でのこと。京都のバスガイドを務めていた節子さんは坂本さんより5歳年上で、当時15歳の坂本少年が一目惚れしたのが始まりです。
以降、2人は6年間にわたる文通でお互いを知り続け、坂本さんが節子さんに送ったラブレターの数は337通。SNSもメールもない時代、手紙という遅いメディアだけで愛情を育てた純度の高い時間が、のちの結婚生活を支える土台になったといえそうです。
1968年に結婚、大病と介護の10年間
6年間の文通を経て、1968年に2人は結婚。節子さんは坂本さんを陰で支え続け、各地のマラソン大会でもランナーのケアをしていた姿が関係者の間で語り継がれています。
ところが2010年頃、節子さんは大きな病気を患い在宅療養生活に入ります。2015年には膵臓がんの手術、その後は介護が必要な状態に。坂本さんは「連れ合いの大きな病気看病と介護生活に入っていた」とブログで語っており、24時間テレビの舞台裏で10年近い介護生活を続けていたことが分かります。
2024年3月に節子さんが逝去、享年85
2024年初頭に節子さんは自宅で転倒して骨折し、そのまま入院したと『天国ゆきのラブレター』で明かされています。そして2024年3月に天に召されたと、主婦の友社の公式プレスリリースで明記されています。
坂本さんはその悲しみを乗り越えるかのように、結婚後に節子さんが書き残した338通目の手紙と、自身が節子さんの棺に納めた339通目の手紙を含めた339通の愛のやり取りを、1冊の本にまとめることを決断したわけです。
『天国ゆきのラブレター』2024年12月25日発売
2024年12月25日、主婦の友社から『天国ゆきのラブレター 339通にこめられた奇跡の物語』(定価1,760円)が発売されました。坂本さんと節子さんの61年の歳月、337通の恋文、闘病を支えた日々、そして最後の339通目までが丁寧に綴られています。
2025年1月には都内で出版記念トークショーが開かれ、森三中・大島美幸さん、俳優の谷原章介さんらがゲスト出演。大島さんは坂本さんを「最初は寅さん的な雰囲気で怖かった」と振り返りつつ、夫婦の愛情表現の豊かさに感銘を受けたと語っています。
子供がいなかった夫婦の絆と「歴代ランナーは家族」
坂本さん夫妻には実子はいません。坂本さんは自身のブログやインタビューで「指導してきた歴代マラソンランナーを娘のように息子のように思ってきた」と繰り返し語っており、家族のいない寂しさを番組の現場で補ってきた側面もうかがえます。
間寛平さん、森三中・大島美幸さん、徳光和夫さん、DAIGOさんら、歴代ランナーが節目ごとに坂本さん夫妻を気遣ってきたエピソードも多く、血の繋がらない「大家族」を築いてきた人生だったと言えそうです。
坂本トレーナーの後継者と24時間テレビの今後
32年間走り続けた名物トレーナーの卒業で、気になるのが「次は誰が番組を支えるのか」という点。ランナーズ・ウェルネス側の後継体制と、24時間テレビ側の新しい動きを整理します。
ランナーズ・ウェルネス新社長は比企啓之さん
坂本さんが2022年10月に社長退任した後、株式会社ランナーズ・ウェルネスの代表取締役社長に就任したのが比企啓之(ひき ひろゆき)さんです。比企さんは実業家・投資家として知られる人物で、Wikipediaにも記事が作成されています。
坂本さんが築いた湘南国際マラソンや横浜マラソンのブランドを引き継ぎつつ、会社としては市民マラソン運営の大手として事業を拡大中というフェーズに入っている状況ですね。
24時間テレビマラソンは「ランナー発掘型」へシフト
番組側も坂本さんの卒業を前提に体制を見直しており、2024年のやす子さんのケースでは従来の「芸能人が走り切る」型から「チャリティー意義を前面に出す」スタイルへの変化が見られました。
やす子さんのチャリティーマラソンは全国の児童養護施設への募金を目的に据え、走行中の沿道でのファン対応や警備体制が見直されるなど、番組運営そのものが転換点を迎えています。
坂本さんに代わる一人の絶対的トレーナーを置くというよりは、複数のスタッフ・専門家によるチーム制で支える形へシフトしつつあると言えるでしょう。
坂本トレーナーの精神は市民ランナーに受け継がれる
坂本さんは「走ることは生きること」という言葉を長年繰り返してきました。公式ブログのタイトルにもなっているこのメッセージは、プロアスリートだけでなく一般の市民ランナーに向けた言葉です。
年齢や病気とつき合いながらも走ることを諦めない姿勢、タレントであっても甘やかさず向き合う指導、そして妻との61年の愛を誠実に綴る人柄。こうした坂本雄次さんの生き方そのものが、これからの市民マラソン文化の財産として受け継がれていくはずです。

