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車いすテニスで、ついに生涯ゴールデンスラムを達成した上地結衣さん。身長143cmの小さな体で世界の頂点に立った姿を見ていると、どんな家族に支えられてきたのか気になってきますよね。
実は上地結衣さんの競技人生は、家族なしには始まりませんでした。車いすテニスを始めたきっかけはお姉さん、最初のスポンサーはお母さんの勤務先だったんです。
両親とお姉さんとの4人家族の物語から、車いすバスケから始まった生い立ち、15歳の家族会議、ウィンブルドン制覇まで、たっぷりお届けしますね。
【記事のポイント】
- Wedgeは、上地結衣さんを「両親と姉との4人家族」と紹介しています
- 車いすテニスを始めたきっかけは、4歳上の姉が中学校で軟式テニス部に入ったことでした
- 本人は、両親が学生時代にしていたバスケットボールが車いすでもできると聞き、車いすバスケから始めたと語っています
- 神戸新聞は、最初のスポンサーが母の当時の勤務先だったと伝えています
- 本人は、母の会社の人が中心となって応援する会を立ち上げてくれたと話しています
- 父の名前や職業、姉の名前は公表されていません
- 先天性の潜在性二分脊椎症で、結婚の発表はありません
- 2026年にウィンブルドンのシングルスを制し、生涯ゴールデンスラムを達成しました(nippon.com)
| 名前 | 上地結衣(かみじ ゆい) |
|---|---|
| 生年月日 | 1994年4月24日(nippon.com) |
| 出身 | 兵庫県明石市 |
| 身長 | 143cm(nippon.com) |
| 競技 | 車いすテニス |
| 家族 | 両親・4歳上の姉(本人を含め4人家族) |
| 障害 | 先天性の潜在性二分脊椎症 |
上地結衣の家族構成は?両親と姉の4人家族・母の勤務先が最初のスポンサー
- 家族構成は?両親と姉の4人家族
- 母親はどんな人?勤務先がスポンサー第1号
- 父親はどんな人?
- 4歳上の姉が車いすテニスのきっかけ
- 生い立ちは?両親が探した車いすバスケ
- 15歳の初遠征と家族会議
家族構成は?両親と姉の4人家族
結論から言うと、上地結衣さんの家族は父、母、姉、本人の4人家族です。
世界と戦うアスリートを育てた家族、どんな顔ぶれなのか気になりますよね。
本人を取材したWedgeの記事は、「両親と姉との4人家族」と紹介しています。阪神淡路大震災の前年に生まれたとも伝えています。
お姉さんは4歳上で、上地さんは次女。ネット上でも4人家族と紹介されていて、ほかの兄弟姉妹がいるという話は出てきません。
| 家族 | わかっていること |
|---|---|
| 父 | 学生時代にバスケットボール・名前や職業は非公表 |
| 母・芳美さん | 当時の勤務先が最初のスポンサー(神戸新聞) |
| 姉 | 4歳上・車いすテニスを始めるきっかけに・名前は非公表 |
| 本人 | 次女 |
家族のうち名前が紹介されているのはお母さんだけ。お父さんとお姉さんは一般の方なので、名前は公表されていません。
この4人のそれぞれが、上地さんの競技人生の大事な場面に関わっているんです。ここから一人ずつ見ていきますね。
母親はどんな人?勤務先がスポンサー第1号
お母さんは、上地結衣さんの競技人生の入口を作った存在です。ここ、この記事で一番読んでほしいところなんですよ。
神戸新聞(2021年9月2日)は、スポンサー第1号は母の勤務先だったと伝え、15年続く支援の絆を紹介しています。
記事によると、“スポンサー第1号”となったのは母・芳美さんの当時の勤務先で、神戸市西区のガス事業会社「シィメス」だったそうです。記事は、同社の浅井哲也社長が当時を振り返った話も伝えています。
お母さんの職場の人たちが、まだ中学生だった娘さんを応援してくれた。なんて温かい話なんでしょうね。
本人も、2012年のGO豪メルボルンのインタビューで、応援してくれる会について「母の会社の人が中心に立ち上げて下さって」と話しています。テニスを始める前から自分のことを知っていた人たちが応援してくれた、と振り返っているんです。
ブログによると、社長は中学1年のころの上地さんに初めて会ったとき、将来パラリンピックに出てみたいと言っていたと振り返っているそうです。その夢を、本当に叶えてみせたわけですね。
ブログでは、支援の第一歩は母の勤務先による大会パンフレットへの広告掲載だったと紹介されています。2012年のロンドン大会の前には「応援する会」が結成され、メンバーが夏祭りや駅前で募金活動をして遠征費を工面したそうです。
| 時期 | 母の勤務先の支援 |
|---|---|
| 最初 | 大会パンフレットへの広告掲載(ブログの紹介) |
| 2012年ロンドン大会の前 | 「応援する会」が結成・夏祭りや駅前で募金(ブログの紹介) |
| 2021年9月2日の報道時点 | 15年続く支援(神戸新聞) |
同じブログは、贈られた全米オープンの優勝トロフィーが、会社の本社に飾られているとも紹介しています。支えてくれた人たちに、最高の形で恩返しをしているんですね〜〜!
家庭でのお母さんの姿も、本人が語っています。Wedgeでは、子どもの頃に左利きを右利きに直すようお母さんに勧められて習い事に通ったことや、お母さんと買い物に行ったときの思い出を話しています。
父親はどんな人?
お父さんの名前や職業は公表されていません。
ただ、上地さんの競技人生にとって大事なことがひとつわかっています。お父さんは学生時代にバスケットボールをしていたんです。
本人はインタビューで、両親が学生時代にしていたバスケットボールが車いすでもできると聞いて始めた、と語っています。両親の青春のスポーツが、娘の最初の競技になったというわけですね。
ブログによると、ウィンブルドンで優勝した後の会見では、日本から応援してくれたお父さんへの感謝を口にしたそうです。現地にはお母さんとお姉さんが駆けつけ、お父さんは日本から見守っていたと紹介されています。
遠く日本から、娘の優勝を見届けたお父さん。その瞬間の気持ちを想像すると、グッときちゃいますよね。
4歳上の姉が車いすテニスのきっかけ
車いすテニスを始めたきっかけは、4歳上のお姉さんです。
世界のトップ選手の原点がお姉さんだったなんて、素敵ですよね。
Wedgeによると、それは4歳上のお姉さんが中学校で軟式テニス部に入ったことがキッカケだったそうです。
本人は「姉が立ってプレーしていたので私も同じようにやりたい」と、最初は車いすを使わず、立ったままテニスを始めてみたといいます。
大好きなお姉さんと同じことがしたい。そんな妹らしいまっすぐな気持ちが、世界へつながる第一歩だったんです。
パラサポWEBのプロフィールも、11歳のとき、お姉さんが中学校で軟式テニスを始めた影響で車いすテニスをするようになった、と紹介しています。お姉さんの影響については、ネット上でも広く取り上げられています。
お姉さんの名前や職業は公表されていません。
ブログによると、ウィンブルドンで優勝した夜、現地に来ていたお母さんとお姉さんを、初めてチャンピオンズディナーに同行させたそうです。テニスを始めるきっかけをくれたお姉さんと、頂点の夜を一緒に過ごす。これ以上ない恩返しですよね。
生い立ちは?両親が探した車いすバスケ
上地結衣さんは、兵庫県明石市で育ちました。生まれつきの潜在性二分脊椎症で、もともとは装具をつければ歩けていたものの、成長とともに歩きにくくなったと本人が語っています。
ブログによると、小学4年生のころに体重が増えて脚が体を支えきれなくなり、車いすを使う場面が増えたそうです。友だちと外に遊びに行く機会が減り、気持ちがふさぎ込んだ時期もあったといいます。
活発だった女の子が、思うように外で遊べなくなる。本人にとっても家族にとっても、つらい時期だったはずですよね。
そんな娘を見て、両親が動きました。スポーツ庁の室伏広治長官との対談で、本人は小さい頃から体を動かすことが好きだったと話したうえで、「それを見ていた両親が、何か車いすでもできるスポーツを、っていう風に思ってくれた」ことがきっかけで、最初は車いすバスケを始めたと振り返っています。
2012年のインタビューでは、小学校4年生の終わり頃から車いすバスケをしていて、メンバーの中に車いすテニスをする人がいて紹介してもらった、とも話しています。
ただ、車いすバスケでは悔しい思いもしました。Wedgeによると、体の小さかった上地さんにはバスケットのゴールが遠く、大人たちと同じようにできなかったそうです。
ブログによると、体の小さい上地さんのために、ネットにかすればゴールに入ったことにする、という特別ルールが提案されたこともあったそうです。ところが本人は、みんなと同じルールで戦いたいと悔しく感じたといいます。
特別扱いより、みんなと同じ土俵で勝負したい。この負けず嫌いな気持ちこそ、今の上地さんの強さの原点なんでしょうね。そして、ネットを越えれば誰とでも勝負できるテニスに、気持ちが傾いていったと紹介されています。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 生まれつき | 潜在性二分脊椎症・装具をつければ歩けていた |
| 小学4年生のころ | 車いすを使う場面が増える(ブログの紹介) |
| 小学校4年生の終わり頃 | 車いすバスケを始める(本人) |
| 小学5年生 | 日常生活で車いすに乗り始める(Wedge) |
| 11歳 | 姉の影響で車いすテニスへ(パラサポWEB) |
家庭の雰囲気について、ブログでは、本人がインタビューで、両親や家族を含む周りの人が「やりたい」と言ってもいい環境を作ってくれたと答えていた、と紹介されています。陸上、スキー、車いすバスケ、ピアノ、習字と、幼い頃から幅広い習い事を経験したそうです。
小学校でリレーへの出場を断られた経験もあったと、ブログには書かれています。それでも気持ちを折らずにいられたのは、家庭で本人の意思が尊重されていたからだろう、と見ているそうです。
高校卒業後の進路も、コーチや両親、先生に相談して時間をかけて決め、プロの道を選んだと紹介されています。元のインタビューの原文までは示されていません。
15歳の初遠征と家族会議
中学3年生だった2009年、上地結衣さんはイギリスで開かれた国別対抗戦ワールドチームカップに日本代表として出場し、初の海外遠征を経験しました(Wedge)。
中学生でいきなり日本代表として海外へ。ワクワクと不安が入り混じっていたでしょうね。
ブログによると、このとき大会スタッフから両親と一緒に来られるか確認があり、上地家では家族会議が開かれたそうです。
そこで出した答えが、15歳とは思えないほどしっかりしているんです。
本人はJALのインタビューで、毎回両親に来てもらうと負担になり費用も倍になるが、一人ならその倍の大会に出られるので一人で行くことにした、と振り返っているそうです。
家族の負担を考えつつ、もっと多くの大会に出たいという気持ちも大切にする。15歳でこんな判断ができるなんて、すでにプロの顔を持っていたんですね。
JALの記事の原文までは示されていません。
上地結衣の家族構成とあわせて知りたい|病気・中学・結婚・年収・現在
- 病気は?潜在性二分脊椎症
- 出身中学はどこ?
- 結婚している?結婚相手は?
- 年収は?
- パラスポーツの選手としてどんなことをしているの?
- 現在は?ウィンブルドン制覇と生涯ゴールデンスラム
- 上地結衣の家族構成についてわかっていることのまとめ
病気は?潜在性二分脊椎症
上地結衣さんは、先天性の潜在性二分脊椎症です(パラサポWEB・nippon.com)。
本人はWedgeで「私の障害は潜在性二分脊椎症といって生まれながらのものです」と話しています。右は感覚が鈍く、左は運動機能が鈍いと説明しています。
2012年のインタビューでは、障害は足だけで麻痺があり、元々は車いすに乗っておらず、装具をつけて歩けていた、と語っています。日常生活で車いすに乗り始めたのは小学5年生からだとWedgeは伝えています。
自分の障害について、こうして率直に、自分の言葉で説明している姿が印象的ですよね。
出身中学はどこ?
出身中学は、明石市立大久保中学校だと紹介されています。高校は明石市立明石商業高等学校です。
明石市の関係者のブログには、リオパラリンピックで銅メダルを獲得した上地さんが、母校の明石商業高校に報告に来たときの話が載っています。
中学時代の上地さんは、とにかく大会に出まくっていたそうです。Wedgeによると、中学に進学した4月に神戸オープンに出場し、それ以降「中学時代は全ての大会に出場した」と本人が言うほど、各地の大会を転戦したと伝えています。
| 学校 | 内容 |
|---|---|
| 中学 | 明石市立大久保中学校(ブログの紹介)・全ての大会に出場 |
| 高校 | 明石市立明石商業高等学校・在学中にロンドンパラリンピック出場 |
結婚している?結婚相手は?
上地結衣さんが結婚したという発表はありません。
世界で戦うトップ選手のプライベート、ファンなら気になりますよね。
ネット上のブログでは、結婚や旦那に関する発表は出ておらず、交際相手の情報も公表されていないとされています。別のブログも、プライベートに触れたインタビューが少なく、結婚や子どもがいる噂はないようだと書いています。結婚相手の話も、今のところ出てきていません。
そのブログは、結婚していない理由の推測として、韓国語・英語・フランス語を使えること、社交的で旅行好きなこと、負けず嫌いな性格を挙げ、競技を最優先にしているのではないかと書いています。
3か国語を操って世界を飛び回る毎日。今はテニスに全力を注いでいる時期なのかもしれませんね。ただ、本人が結婚について語ったものではないので、信ぴょう性は定かではありません。
年収は?
年収は公表されていません。
世界のトップ選手ですから、どれくらい稼いでいるのか気になりますよね。
ブログでは、主な収入源はスポンサー契約や大会の賞金、メディア出演料で、推定年収は4000万円以上と言われている、と紹介されています。ただ、根拠は示されておらず、信ぴょう性は定かではありません。
同じブログは、四大大会の優勝賞金を1大会あたり約700万円と仮定し、2023年の四大大会の獲得賞金を約1950万円と試算しています。あくまでブログの仮定にもとづく計算です。
スポンサーとしては、三井住友銀行、コカ・コーラ、ダンロップ、FILA、日本航空、エアウィーブ、OXエンジニアリング、井上ゴム、ネッツトヨタ神戸、そして母の勤務先だったシィメスなどの名前がブログで挙げられています。
大企業がずらりと並ぶ中に、最初に応援してくれたお母さんの勤務先の名前がある。このリストを見るだけで、なんだか胸が熱くなりますね。
パラスポーツの選手としてどんなことをしているの?
上地結衣さんは、車いすテニスの選手として世界で戦っています。
スポーツ庁の対談によると、高校生のときに2012年のロンドンパラリンピックに出場し、シングルス・ダブルスともにベスト8に進出。2016年のリオパラリンピックでは銅メダルを獲得しました。
高校生でパラリンピックのベスト8。そこから一歩ずつ、世界の頂点へ駆け上がっていったんですね。
本人はその対談で、国枝慎吾さんと10歳離れていて、これから始める子たちの憧れは国枝選手がいいが、自分はその間に立つような存在でありたい、という趣旨の話もしています。
自分がスターになるだけでなく、次の世代との架け橋になりたい。お姉さんの背中を追いかけて始めた上地さんらしい考え方ですよね。
現在は?ウィンブルドン制覇と生涯ゴールデンスラム
nippon.com(2026年7月14日)によると、上地結衣さんは10度目の挑戦でウィンブルドンのシングルスを制し、生涯グランドスラムと生涯ゴールデンスラムを達成しました。国枝慎吾さん、小田凱人さんに並ぶ記録です。
10度目の挑戦。何度跳ね返されても挑み続けて、ついにつかんだタイトルなんです。
四大大会のシングルスは通算12度目の制覇で、ダブルスでは2014年に四大大会すべてで優勝する年間グランドスラム、2024年のパリ大会の金メダルで生涯ゴールデンスラムを達成していた、と同じ記事は伝えています。身長は143cmです。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 2012年 | ロンドンパラリンピック シングルス・ダブルスともにベスト8 |
| 2014年 | ダブルスで年間グランドスラム |
| 2016年 | リオパラリンピックで銅メダル |
| 2024年 | パリ大会のダブルスで金メダル |
| 2026年 | ウィンブルドンのシングルスを制し生涯ゴールデンスラム |
家族との関係について、ブログでは、本人が心に引っかかる言葉があったときに、家族や友達、テニスを知らない人にも聞いて確かめるとインタビューで話していた、と紹介されています。
2021年の東京パラリンピックの開会式で聖火台への最終点火を務めたときは、その役目を家族にも内緒にしていたそうです。当日その姿を見た家族の驚き、想像するだけでワクワクしますよね。
同じブログによると、本人は競技の第一線を離れても車いすテニスには関わり続けたいと語っていて、日本と海外のユース選手が行き来する交流を思い描いているそうです。元のインタビューの原文までは示されていません。
上地結衣の家族構成についてわかっていることのまとめ
最後に、上地結衣さんの家族構成について、わかっていることをまとめておきますね。
- 家族は両親と4歳上の姉との4人家族(Wedge)
- 車いすテニスのきっかけは、姉が中学校で軟式テニス部に入ったこと
- 両親が学生時代にしていたバスケットボールがきっかけで、車いすバスケから始めた
- 最初のスポンサーは母の勤務先で、母の会社の人たちが応援する会を立ち上げた
- 父・姉の名前や職業は公表されていない
- 先天性の潜在性二分脊椎症で、結婚の発表はない
- 2026年にウィンブルドンのシングルスを制し、生涯ゴールデンスラムを達成した
お姉さんの背中を追いかけて始めたテニス、両親が探してくれたスポーツ、そしてお母さんの職場の人たちの応援。上地結衣さんの生涯ゴールデンスラムは、家族みんなでつかんだ勲章でした。これからも、その笑顔を世界の舞台で見せてほしいですね!
