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2025年秋からNHKの朝の連続テレビ小説『ばけばけ』が始まり、主人公・松野トキのモデルとなった小泉セツさんへの関心が一気に高まっています。サジェストには「子孫」「現在」「家系図」「ひ孫」「玄孫」など、家系をたどる検索が並びますよね。
結論から言うと、小泉セツさんと夫・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんには4人の子どもがおり、その子孫は2026年現在も島根県松江市やアイルランドなど世界各地で活動しています。とくにひ孫の小泉凡さんは民俗学者として小泉八雲記念館館長を務め、玄孫の守谷天由子(あゆこ)さんはアイルランドに在住してYouTubeとブログで情報発信中です。
あなたが『ばけばけ』をきっかけに「子孫はいま何をしているの?」「有名人や俳優の子孫はいる?」と気になっているなら、長男から玄孫まで一気にたどる解説で、小泉家の家系の今を整理してみてくださいね。
- 小泉セツと小泉八雲には4人の子ども(長男・次男・三男・長女)がいた
- 長男・小泉一雄は父の伝記『父八雲を語る』を著した
- 三男・小泉清は画家として活動した
- ひ孫・小泉凡は民俗学者で小泉八雲記念館館長を現職で務める
- 玄孫・守谷天由子(あゆこ)はアイルランド人男性と結婚しアイルランド在住
- 玄孫はブログとYouTube「あゆこのアイルランド田舎暮らし」で発信中
- セツ自身は1932年に他界、生涯松江出身の上級士族の家系を貫いた
| 名前 | 小泉セツ(こいずみ せつ) |
|---|---|
| 生没年 | 1868年2月4日(慶応4年)〜1932年(昭和7年) |
| 出身地 | 島根県松江市(松江藩士族・稲垣家) |
| 最初の夫 | 前田為二(稲垣家の聟養子) |
| 再婚相手 | 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) |
| 子ども | 長男・小泉一雄、次男・小泉巌、三男・小泉清、長女・寿々子 |
| 主要な著書 | 『思い出の記』(1918年刊・八雲との生活回想記) |
| 朝ドラ『ばけばけ』 | 主人公・松野トキのモデル(2025年秋〜) |
小泉セツの子孫は今どこに?家系図から子孫の現在まで徹底まとめ
小泉セツさんの子孫は、長男から玄孫まで150年を超える家系の歴史を刻んでいます。子・孫・ひ孫・玄孫まで順にたどると、松江市の文化人としての活動から、アイルランドでの国際結婚まで、驚くほど多彩な現在が見えてきます。
子孫は何人?小泉セツの家系図と子ども・孫・ひ孫・玄孫まで全体像
結論から言うと、小泉セツさんと小泉八雲さんの直系の子孫は、4人の子どもから始まり、孫・ひ孫・玄孫まで続く大家族です。これ、家系図を一度整理してみるとスッキリ理解できますよね。
セツさんと八雲さんの間に生まれた子どもは4人。1904年9月26日に八雲さんが54歳で他界した時点で、長男・小泉一雄さんが10歳、次男・小泉巌(イワオ)さんが6歳、三男・小泉清さんが4歳、長女・寿々子(スズコ)さんがわずか1歳でした。小泉八雲記念館の公式展示「Hearn & Family」でもこの4人がはっきり明記されています。
ここで、小泉セツさんを起点とする家系全体像を整理します。
| 世代 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 本人 | 小泉セツ | 1868年生まれ、松江出身 |
| 子(4人) | 長男・一雄/次男・巌/三男・清/長女・寿々子 | 父・八雲は1904年没 |
| 孫 | 各子の家系 | 大部分が松江を拠点 |
| ひ孫 | 小泉凡(民俗学者)など複数 | 2026年現在も活動中 |
| 玄孫 | 守谷天由子(あゆこ)など複数 | アイルランド在住の方も |
言ってしまえば、小泉八雲の血筋は今も島根・東京・海外と世界各地に広がり、それぞれが八雲の精神を受け継いだ活動を続けています。あなたが家系図を描こうとするなら、まずはこの「4人の子ども→大家族へ」という基本構造から押さえると整理しやすいですよ。
長男・小泉一雄の生涯と一雄の子孫の現在
結論から言うと、長男の小泉一雄さんは父・八雲を伝える著書を複数刊行し、八雲家の精神的支柱となった人物です。あなたも「父親が10歳で亡くなった少年がどう育ったか」気になりますよね。
小泉一雄さんは、父・八雲が他界した1904年時点で10歳。子ども時代の父との記憶を綴った『父小泉八雲』を1935年に Houghton Mifflin Co.から、戦後の1950年には『父小泉八雲』を小山書店から刊行しました。1957年には英文の『RE-ECHO』をナンシー・J・フェラーズ編で Caxton Printers から出版しています。
ここで、一雄さんの主要な著書を整理します。
| 刊行年 | 書名 | 出版社 |
|---|---|---|
| 1935年 | Father and I | Houghton Mifflin Co. |
| 1950年 | 父小泉八雲 | 小山書店 |
| 1957年 | RE-ECHO | Caxton Printers |
『Father and I』の序文で一雄さんは、次のように記しています。
「My father died when I was ten. To me, as a young boy, he was a father, a family man. I didn’t know the man who gave solemn lectures or wrote difficult works.」
つまり、世界的な作家としての八雲ではなく、家庭での父として記憶している、ということなんですよね。家族の温かさが伝わってきます。
一雄さんの孫やひ孫がのちの世代に続き、後述するひ孫の小泉凡さんはこの長男の家系から出ているとされています。
次男・小泉巌の生涯と子孫の現在
結論から言うと、次男の小泉巌(イワオ)さんは、父・八雲を題材にした作品『稲垣巌「父八雲を語る」』として、息子の視点から八雲を語った人物です。これ、長男・一雄さんとはまた違う角度の八雲像が見えるんですよね。
巌さんは父・八雲が他界した時6歳。長男の一雄さんよりも父の記憶は断片的ですが、それでも独自の視点で父を語る記録を残しました。なお、巌さんは小泉家を継いだ後に「稲垣巌」名義での著書も知られています。これは母・セツさんの実家「稲垣家」を受け継いだ形となります。
ここで、巌さんの基本情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 続柄 | 小泉セツと八雲の次男 |
| 父他界時の年齢 | 6歳(1904年時点) |
| 主な活動 | 『父八雲を語る』など父を題材とした記録 |
| 名前の表記 | 小泉巌、稲垣巌(後継として) |
巌さんの直系の子孫もその後、東京や松江に残り、小泉家全体の歴史を継承する役割を果たしています。
三男・小泉清(画家)の生涯と子孫の現在
結論から言うと、三男の小泉清さんは画家として活動し、芸術家の道を歩んだ小泉家の異色の存在です。あなたも「文学の家系から画家が出るのか」と意外に思いますよね。
清さんは父・八雲が他界した時4歳。幼少期の記憶はほとんど残らなかったと考えられますが、母・セツさんと兄たちの影響のもと、独自の道として絵画に進みました。父・八雲が「ワードペインター(言葉の画家)」と呼ばれたことを思うと、その血筋は形を変えて受け継がれたとも言えそうです。
ここで、清さんの基本情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 続柄 | 小泉セツと八雲の三男 |
| 父他界時の年齢 | 4歳(1904年時点) |
| 職業 | 画家 |
| 関連サジェスト | 「小泉清 妻」(配偶者情報への関心) |
「小泉清 妻」というサジェストが出てくることから、配偶者や家族にも関心が集まっています。清さんの子孫の方も、芸術分野や民俗学方面で小泉家の伝統を支えていると伝えられています。
長女・寿々子(小泉八雲の娘)の生涯と子孫の現在
結論から言うと、長女の寿々子(スズコ)さんは、父・八雲他界時にわずか1歳と最も幼かった末娘です。あなたも「ほぼ父の記憶がない女性がどんな人生を歩んだか」が気になりますよね。
寿々子さんは1903年頃の生まれと推測され、父・八雲他界(1904年)の時点ではまだ赤ん坊でした。父の直接の記憶を持たないものの、母・セツさんからの伝承と、兄たちが書き残した記録を通じて、間接的に父を知った世代となります。
ここで、寿々子さんの基本情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 続柄 | 小泉セツと八雲の長女 |
| 父他界時の年齢 | 1歳(1904年時点) |
| 関連サジェスト | 「小泉セツ 寿々子」「小泉 寿々子 子孫」 |
寿々子さんからの家系(子孫)も2026年現在まで続いており、関連サジェストに「小泉 寿々子 子孫」が登場するほど、家系図の重要な一筋を担っています。
ひ孫・小泉凡(こいずみ ぼん)の現在の活動と小泉八雲記念館
結論から言うと、ひ孫の小泉凡さんは2026年現在、民俗学者として活動しつつ、島根県松江市の小泉八雲記念館の館長を務めています。あなたも「ひ孫が八雲の研究をしている」と聞くと、家系の継承力に驚きますよね。
凡さんは2025年から始まったNHK朝ドラ『ばけばけ』の解説者として日経BOOKプラスやAERA等の主要メディアでインタビューに登場しています。日経BOOKプラスの取材では次のように自己紹介しています。
「私は小泉八雲のひ孫として島根県の小泉八雲記念館の館長を務めるとともに、大学で八雲文学や妖怪文化を教え、八雲の現代的意義を発信しています」
ここで、凡さんの主な活動を整理します。
| 役職・活動 | 内容 |
|---|---|
| 小泉八雲記念館 館長 | 島根県松江市(2026年現在) |
| 大学講師 | 八雲文学・妖怪文化を教える |
| 研究分野 | 民俗学(曽祖父・八雲と同じ) |
| メディア活動 | 日経BOOKプラス、AERA等で朝ドラ『ばけばけ』解説 |
| 国際活動 | イタリア・アイルランド・米国などで八雲再評価の講演 |
凡さんはイタリア・ミラノでの怪談展(2022年、半年で9万5000人来場)、アイルランド・ダブリンでの怪談アート展(2023年〜継続中)、米国ニューオーリンズのマルディグラ祭で「ラフカディオ・ハーンの2つの世界」テーマ出場(2024年)など、世界規模で八雲の再評価に尽力されています。
言ってしまえば、ひ孫の小泉凡さんがいなければ、世界各地での八雲再評価ブームは起きていなかったかもしれません。これは「子孫の現在」のなかでも特に注目すべき活動と言えますよね。
玄孫・守谷天由子(あゆこ)のアイルランド在住生活と発信
結論から言うと、玄孫の守谷天由子(あゆこ)さんは、八雲の故郷の地アイルランドに在住し、ブログとYouTubeで小泉家とアイルランド生活を発信している人物です。あなたも「玄孫が八雲ゆかりのアイルランドに住んでいる」と聞くと、運命的な巡り合わせを感じますよね。
あゆこさんはご自身のブログ「ayuko8.cloud」で、次のように自己紹介しています。
「小泉八雲の孫の孫、守谷天由子です」
そして、ばけばけ放送に対する思いを次のように綴っています。
「2025年の秋に始まった、私の高祖父母小泉セツがモデルとなった朝ドラばけばけ」
「まさか自分がセツのように外国人と、しかもアイルランド人(八雲の父チャールズが今で言うアイルランド出身)と所帯を持つなんて当時は思ってもいませんでした」
ここで、あゆこさんの活動を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 続柄 | 小泉八雲・セツ夫妻の玄孫(高祖父母) |
| 居住地 | アイルランド(海辺の街トラモア在住、7年目) |
| 家族 | アイルランド人男性と結婚、2歳の息子1人 |
| 運営メディア | ブログ「ayuko8.cloud」/YouTube「あゆこのアイルランド田舎暮らし」 |
| 関連書籍 | 「アイルランド在住、小泉八雲の子孫のインタビュー本」刊行予定 |
あゆこさんは、八雲の妻セツが書いた『思い出の記』を、八雲のルーツの地アイルランドで読み返すという感慨深い体験を綴っています。世代を超えて八雲家とアイルランドが結びつく現代的なエピソードですよね。
あなたが小泉家の子孫の最新の姿を追いたいなら、あゆこさんのYouTubeチャンネルやブログを覗いてみると、八雲の血脈が今も生きていることが実感できそうですよね。
子孫に有名人や俳優はいる?関連サジェストの真相
結論から言うと、関連サジェストに「小泉八雲 子孫 有名人」「小泉八雲 子孫 俳優」が並びますが、芸能界で広く知られた俳優としての子孫の確認は現時点で限定的です。あなたも「有名人がいるかも」と気になりますよね。
子孫の中で広く知られている人物としては、すでに紹介したひ孫の小泉凡さん(民俗学者・小泉八雲記念館館長)と、玄孫の守谷天由子さん(YouTuber・ブロガー)が筆頭です。芸能界で大物俳優として活動している直系の子孫の確認は、2026年5月時点では明確な公開情報を得られていません。
ここで、関連サジェストの実態を整理します。
| サジェスト | 確認情報 |
|---|---|
| 小泉八雲 子孫 有名人 | ひ孫・小泉凡が民俗学者として著名、玄孫・あゆこがネット発信者として知られる |
| 小泉八雲 子孫 俳優 | 大物俳優としての直系子孫の確認は限定的 |
| 小泉八雲 子孫 戦争 | 長男・一雄ら戦中の世代エピソードへの関心と推測 |
| 小泉八雲 子孫 あゆこ | 玄孫のあゆこさんを指すサジェスト |
言ってしまえば、小泉家の子孫は「芸能界の有名人」より「文化人・研究者・国際的発信者」として知られる路線が強いんですよね。これは文学者・八雲の家系らしい知的な継承と言えそうです。
小泉セツの生涯と子孫の現在につながる家族・人生背景まとめ
子孫の現在は分かりましたが、そもそも小泉セツさん自身はどんな人生を歩んだのか。松江の上級士族の家に生まれ、最初の結婚の挫折を経て、運命の人・小泉八雲と出会うまでの軌跡をたどると、子孫が世界へ広がる原点が見えてきます。
プロフィールと松江での生い立ち
結論から言うと、小泉セツさんは1868年2月4日(慶応4年)に島根県松江市の旧松江藩士族の家に生まれた女性です。あなたも「武家出身の女性が外国人と結婚するなんて当時はどれだけ驚かれただろう」と感じますよね。
セツさんは旧名を「小泉節子」とも記されますが、本人の著書では「セツ」と「節子」が併用されています。なお、玄孫のあゆこさんは「節子はペンネーム」と説明しており、家族内では「セツ」と呼ばれていたようです。
ここで、セツさんの基本プロフィールを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1868年2月4日(慶応4年) |
| 没年 | 1932年(昭和7年) |
| 出身地 | 島根県松江市 |
| 家系 | 松江藩士族・稲垣家、後に小泉家 |
| 表記 | セツ(本名)、節子(ペンネーム的)、Setsuko Koizumi(英文) |
松江は出雲大社にも近く、神話と歴史の土地。セツさんはここで育ち、後に同じ松江で英語教師として赴任してきた八雲と出会うことになります。土地の縁が運命を呼んだとも言えそうですね。
実の両親と稲垣家・小泉家の系譜
結論から言うと、セツさんは松江の上級士族の家系に生まれ、稲垣家の養女として育った複雑な背景を持つ女性です。これ、セツさんの精神的な強さの源泉でもあるんですよね。
JBpress記事『朝ドラ『ばけばけ』ゆかりの人々(3)』では、セツさんの実父母と母方の祖父について次のように紹介しています。
「松江の上級士族」「死して主君を戒めた母方の祖父」
つまり、セツさんは武家の格式高い家系出身で、祖父は主君を戒めるほどの気骨ある武士だったわけです。
ここで、関連サジェスト「小泉セツの実の両親は誰ですか?」への答えを整理します。
| 続柄 | 情報 |
|---|---|
| 実父・実母 | 松江上級士族(個人名は研究資料を参照) |
| 母方の祖父 | 主君を戒めて死した気骨ある武士 |
| 養家 | 稲垣家(松江藩士族) |
| 後の家系 | 結婚により小泉家へ |
あなたがもし「武家の娘がなぜ外国人と結婚できたのか」と疑問に思うなら、明治維新後の武家社会の没落と、新しい価値観を受け入れる土壌が背景にあったと押さえると理解しやすそうですよね。
最初の夫・前田為二との結婚と離別
結論から言うと、セツさんは小泉八雲と出会う前に、稲垣家の聟養子だった前田為二さんと結婚していた経験があります。あなたも「最初の結婚があったんだ」と意外に感じるかもしれません。
JBpress『朝ドラ『ばけばけ』ゆかりの人々(5)』で詳しく解説されているように、前田為二さんは稲垣家の聟養子として迎えられた人物。しかし、明治期の武家の没落の中で結婚生活はうまくいかず、最終的に離別となりました。
ここで、関連サジェスト「小泉セツの最初の旦那さんは誰ですか?」への答えを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 最初の夫 | 前田為二(まえだ ためじ) |
| 立場 | 稲垣家の聟養子 |
| 結婚の経緯 | 明治期の武家同士の縁組 |
| 結婚生活 | うまくいかず離別 |
| 関連サジェスト | 「小泉セツ 元夫」「小泉セツ 稲垣家 その後」 |
言ってしまえば、セツさんは「離婚経験者」として小泉八雲と再会したわけです。それぞれが過去を持っての結婚が、結果的に長く続いた愛情に結びついたという物語性を感じますよね。
小泉八雲との運命の出会いと小泉セツの再婚生活
結論から言うと、セツさんは1891年に松江で英語教師として赴任してきた小泉八雲と出会い、小泉セツの再婚として結婚しました。あなたも「離婚経験のあるセツがどう家庭を築き直したのか」が気になりますよね。
小泉八雲記念館の展示『Hearn & Family』では、二人の関係を次のように記しています。
「After arriving in Japan in 1890, he found employment as an English teacher at a school in Matsue. Here, he met Setsu, whom he married, and for the first time in his life, he had a family of his own.」
つまり、八雲にとってセツさんとの結婚は「人生で初めて持った家族」だったわけです。
夫婦の独特の言語コミュニケーションについても、同展示はこう記しています。
「Setsu and Hearn called each other Papa san and Mama san, as a mark of respect and affection, and they communicated in a unique form of Japanese which they called “Hearn’s language”」
ここで、二人の結婚生活の主要データを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出会い | 1890〜1891年、松江 |
| 結婚生活の期間 | 約14年(1904年の八雲没まで) |
| 子ども | 4人(長男一雄、次男巌、三男清、長女寿々子) |
| 呼び合い | 「パパさん」「ママさん」 |
| 共通言語 | 「ヘルン言葉(Hearn’s language)」と呼ばれる独自の日本語 |
| 八雲の帰化 | セツと子どものために英国籍を捨て日本国籍へ |
あなたが「八雲のセツへの愛情の深さ」を実感したいなら、英国籍を捨てて日本に帰化した事実だけでも十分に伝わってきますよね。これは当時の外国人としては極めて稀な決断でした。
晩年と1932年の最期
結論から言うと、セツさんは八雲を亡くした後も28年間を生きて、夫の思い出を綴った著書『思い出の記』を遺して1932年に他界しました。これ、夫の死後も家族を守り続けた強さがすごいですよね。
夫・八雲が他界した1904年9月26日、セツさんはその瞬間を次のように記録しています(『思い出の記』より)。
「“Mamma-san, the sickness of the other day has come back again.”」
これが八雲の最期の言葉でした。八雲はセツに見守られながら静かに息を引き取りました。小泉八雲の死因は心臓発作と伝えられており、長男・一雄の著書では「ah, byoki no tame(病気のため)」という八雲の最後の日本語の言葉が記録されています。
ここで、セツさんの晩年の主要な出来事を整理します。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1904年 | 夫・八雲死去(セツ36歳) |
| 1918年 | 『思い出の記』(Reminiscences of Lafcadio Hearn)を Houghton Mifflin Co.より刊行 |
| 1918年以降 | 4人の子どもを育てつつ夫の遺稿整理に尽力 |
| 1932年 | セツ死去(享年64) |
長男・一雄さんの著書『Father and I』にも、八雲の最期について次のような記述があります。
「Born into this world, he first learned Greek, was brought up to speak English, was taught French, Latin, and Spanish; this Hearn on his deathbed uttered, ‘ah, byoki no tame’ (Ah, on account of sickness) regretfully, resignedly, left his final utterance in Japanese—died as a Japanese.」
言ってしまえば、八雲は最後の言葉を日本語で残し、「日本人」として亡くなったわけです。それを記録に残したのが妻・セツと長男・一雄でした。夫婦と家族の絆が、世代を超えて受け継がれていることが伝わってきますよね。
小泉セツの子孫の現在についてまとめ
- 小泉セツは1868年2月4日に島根県松江市の旧松江藩士族の家に生まれた
- セツの実父母は松江の上級士族で、母方の祖父は気骨ある武士であった
- セツは稲垣家の養女として育ち、最初は同家の聟養子・前田為二と結婚した
- 最初の結婚は明治期の武家の没落の中で離別となった
- 1890〜1891年に松江で英語教師として赴任してきた小泉八雲と出会い結婚した
- セツと八雲には4人の子どもがいた(長男・一雄、次男・巌、三男・清、長女・寿々子)
- 夫・八雲は1904年9月26日に54歳で他界、その時セツは36歳だった
- 長男・小泉一雄は『Father and I』『父小泉八雲』など複数の伝記を著した
- 次男・小泉巌は稲垣巌名義でも父・八雲を語る記録を残した
- 三男・小泉清は画家として活動し、文学家系の中で異色の存在となった
- 長女・寿々子は父他界時1歳と最も幼かったが小泉家の家系を継承した
- セツは1918年に『思い出の記』を刊行し、夫・八雲との生活を記録した
- ひ孫の小泉凡は2026年現在、小泉八雲記念館館長として民俗学者の活動を続けている
- 玄孫の守谷天由子(あゆこ)は八雲のルーツの地アイルランドに在住し国際結婚した
- あゆこはブログ「ayuko8.cloud」とYouTube「あゆこのアイルランド田舎暮らし」で発信中
- 2025年秋からのNHK朝ドラ『ばけばけ』により小泉セツへの注目が一気に高まった
- セツは1932年に64歳で他界、夫八雲との家族の物語を後世に遺した
