大森南朋さんといえば、時代劇から現代劇まで幅広く活躍する実力派俳優ですよね。父親が舞踏家の麿赤兒さんであることは有名ですが、母親についてはあまり知られていません。
実は大森南朋さんの母・小林桃枝さんは、1960年代の新宿カルチャーシーンで「風月堂の女王」と呼ばれた伝説的な女性なんです。そんな母親はどんな人物で、現在はどうしているのか。気になりますよね。
大森南朋の母・小林桃枝は風月堂の女王「ダダ」だった
- 大森南朋の母は小林桃枝(旧姓:小林)で、1945年7月に長野県松本市で生まれた
- 1960年代の新宿の伝説的喫茶店「風月堂」で「ダダ」の愛称で呼ばれ、「風月堂の女王」として知られた
- 麿赤兒と風月堂で出会い、1970年に24歳でできちゃった結婚。離婚後は新宿でバーを経営しながら息子二人を女手一つで育てた
- 2025年時点で80歳前後。亡くなったとの報道はなく存命とみられる
- 2022年NHK『ファミリーヒストリー』で紹介されたが本人は出演せず、2025年7月『徹子の部屋』で大森南朋さんが母のエピソードを語り話題に
大森南朋さんの家族構成を見ると、父親は舞踏家で俳優の麿赤兒さん、兄は映画監督の大森立嗣さん、妻は元女優の小野ゆり子さんと、まさに芸能一家です。そんな中で唯一、芸能界とは無縁の存在が母・小林桃枝さんでした。
| 名前 | 小林桃枝(こばやし ももえ)※旧姓 |
|---|---|
| 生年月日 | 1945年(昭和20年)7月生まれ |
| 出身地 | 長野県松本市 |
| 愛称 | ダダ(ダダイズムに由来) |
| 経歴 | 新宿・風月堂の常連→バー「ダダ」経営→インド雑貨店経営 |
| 家族 | 元夫:麿赤兒/長男:大森立嗣(映画監督)/次男:大森南朋(俳優) |
芸能関係者ではないものの、若い頃はかなりの有名人だったというのが桃枝さんの特徴です。その舞台が、当時の新宿に存在した伝説の喫茶店「風月堂」でした。
伝説の喫茶店・風月堂で「ダダ」と呼ばれた理由
風月堂は1946年に東京都新宿区で開業した名曲喫茶です。戦時中に禁じられていたクラシックレコードを聞かせるお店としてスタートし、1973年に閉店するまで新宿の文化を象徴する場所として多くの人に愛されました。
1960年代の風月堂には、天本英世さん(俳優)、三國連太郎さん(俳優・佐藤浩市さんの父)、ビートたけしさん、岡本太郎さん(芸術家)、岸田今日子さん(俳優)、唐十郎さん(劇作家)、安藤忠雄さん(建築家)、寺山修司さん(劇作家)、蛭子能収さんなど、錚々たる文化人や芸能人が集まる伝説のスポットでした。
桃枝さんがこのお店に通うようになったきっかけは、少し切ない家庭事情にあります。長野県松本市で生まれた桃枝さんは5歳で実の母を病気で亡くし、その後の義理の母との折り合いが悪く衝突が絶えなかったそうです。
高校2年生の時に中退して家出してしまった桃枝さんは、行く当てもないまま新宿にたどり着きます。そこで居心地の良さを感じた風月堂に入り浸るようになりました。
独特な服装をしていた桃枝さんは、既存の秩序を否定する芸術運動「ダダイズム」にちなんで「ダダ」というあだ名で呼ばれるようになります。
10代から20代前半という若さながら、常連客たちから一目置かれる存在だったというのですから、相当な貫禄と魅力があったのでしょう。「風月堂の女王」と呼ばれるほどのアイドル的かつボス的な存在だったそうです。
母親の写真は公開されている?
NHK大森南朋のファミリーヒストリー。麿赤兒の状況劇場や唐十郎エピソードは勿論だけど、当時のいわゆるサロンである風月堂の女王であり、“ダダ”と呼ばれたお母様が格好良すぎた。 pic.twitter.com/dLcO7DUXV9
— 千絵ノムラ (@chievampire) August 21, 2022
「大森南朋 母親 写真」で検索する方も多いようですが、桃枝さんは一般人のため公式に写真が出回ることはほとんどありません。
ただし、桃枝さんと親交のあった方のブログには何枚かの写真が掲載されています。1989年頃にインド雑貨店を経営していた時期の写真(当時45歳頃)や、1991年頃のベトナム旅行の写真、さらに1994年に大森南朋さんと一緒に写った写真などが確認できます。
2019年には自宅を訪れた友人の写真も掲載されていましたが、高齢のため顔写真は控えられており、手元だけが写った画像でした。
2022年にNHK『ファミリーヒストリー』で大森南朋さんの家族が特集された際にも、桃枝さん本人は出演していません。テレビで現在の姿を確認することはできなかったようです。
麿赤兒との出会いと24歳でのできちゃった結婚
桃枝さんと同じく風月堂の常連客だったのが、後に夫となる麿赤兒さんでした。二人の出会いの場はまさにこの風月堂で、なんと桃枝さんからの逆ナンパだったと伝えられています。
二人は昭和45年(1970年)に結婚。長男の大森立嗣さんが同年生まれであることから、いわゆる「できちゃった結婚」だったようです。桃枝さんが家出した高校時代からの交際を考えると、6〜7年間の交際を経ての結婚でした。
結婚前の23歳の時には、愛称をそのまま店名にしたバー「ダダ」を新宿に開業しています。当時の麿赤兒さんは唐十郎さんと劇団を立ち上げたばかりで、「アングラ」と呼ばれる前衛的な演劇に没頭していました。
一般受けする内容ではなかったため収入は期待できず、家計を支えたのは桃枝さんでした。麿赤兒さんはますます演劇にのめり込み、家庭を顧みることはほとんどなかったそうです。
長男の大森立嗣さんも後のインタビューで「父親に親らしいことをしてもらった記憶がほとんどない」という趣旨の発言をしています。父親の役目も桃枝さんが担う形になっていたようです。
ただ、麿赤兒さん自身も幼い頃に両親を亡くしており、親からの愛情を受けずに育った背景がありました。親としての振る舞い方がわからなかったというのが大きな理由だったようです。
一方で桃枝さんも型破りな人物だったことは間違いありません。未成年で家出するような気質の持ち主で、子供たちにいわゆる「不良」との付き合いを禁じるどころか、むしろそういった人たちとの交流を薦めたというエピソードもあります。
離婚後はバーを経営!小林桃枝の現在は?
こうした波乱の夫婦生活でしたが、最終的に二人は離婚しています。離婚した具体的な時期は明らかになっていませんが、子供たちが小さい頃だったとされています。
離婚後、二人の息子は桃枝さんが引き取って育てました。新宿でバーやインド雑貨店を経営しながら、女手一つで息子二人を立派に育て上げたのです。
桃枝さんの兄がいくつかのお店を経営しており、そのサポートもあったようです。友人のブログによると、1989年頃にはインド雑貨店を切り盛りしている姿が確認でき、1991年頃にはベトナム旅行に出かけるなど活動的な日々を送っていました。
2025年時点で80歳前後になる桃枝さんですが、亡くなったという報道は出ていません。存命で暮らしていると見られています。
2025年7月には大森南朋さんが『徹子の部屋』に出演した際に母・桃枝さんについてのエピソードを語り、話題になりました。息子がテレビで母の話をするということは、今も親子の関係は良好なのかもしれませんね。
大森南朋の父・麿赤兒や兄についても調査
桃枝さんを語る上で欠かせないのが、元夫の麿赤兒さんと、桃枝さんが育て上げた息子たちの存在です。ここでは父と兄のプロフィールにも触れておきます。
父・麿赤兒の読み方やプロフィール
大森南朋さんの父親は、舞踏家として知られる麿赤兒(まろ あかじ)さんです。一度では読めない難読の芸名ですよね。
1943年2月23日生まれで、本名は大森宏さん。新宿を拠点に活動し、特に前衛的な「暗黒舞踏」の世界で名を馳せた人物です。俳優としても多くの映画やドラマに出演しており、独特の存在感で知られています。
若い頃は唐十郎さんと共に劇団を立ち上げ、演劇界のアングラ文化を牽引した一人でもあります。家庭では父親らしいことをほとんどしてこなかったと言われていますが、その独特の感性は息子たちの芸術的な才能に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
兄・大森立嗣は映画監督として活躍
大森南朋さんの兄は、映画監督の大森立嗣(おおもり たつし)さんです。1970年9月4日生まれで、母・桃枝さんに育てられました。
代表作には『まほろ駅前多田便利軒』『日日是好日』などがあり、独特の視点と温かみのある演出で高い評価を受けています。弟の大森南朋さんとは同じ映画やドラマの世界にいながらも、監督と俳優という異なる立場で活躍しています。
麿赤兒さんが舞踏家、立嗣さんが映画監督、南朋さんが俳優と、三者三様に芸術・エンターテインメントの世界で名を刻んでいるのは、母・桃枝さんの自由な子育ての賜物なのかもしれませんね。

